「日本は今、壊れかかっています」――真剣な表情でそう語るのは、熊本で活躍中のダンサー・マサシさん(本名・伊藤雅史)。サンバダンサー歴15年。03年にリオのカーニバルに初参加し、以降来伯を繰り返す。今年もリオで出場、強豪チーム「ビラ・イザベル」でパシスタとして踊った。ダンスだけでなく、こよなく日本を愛する彼は、日系社会に「日本文化を救うため、力を貸して欲しい」と訴えた。
東京青梅市生まれ、「普通の青年だった」というマサシさん。今では女性サンバダンサーの格好で踊る独自のスタイルが熊本で成功し、サンバチームを作って地元新聞やテレビの取材を受けるまでになった。
「年齢不詳でお願いします」と明らかにしないが、見たところ30代後半。二十歳すぎでサンバの魅力に目覚め、東京の仲見世バルバロスやGRESリベルダージなど有名チームに在籍し、カーニバルのために来伯するようになった。
東京でダンスに夢中だった時、東日本大震災で大都市の脆さを見せつけられ、12年4月に熊本に拠点を移した。東京でもダンサー1本で生計を立てるのは難しいが、引っ越した熊本ではゼロから市場を開拓。「東京と違って、サンバをやる人自体がいなかった」と笑う。地道な営業活動を継続し、熊本のテレビや新聞で何度も取り上げられた。現在は約20名のチーム「サンバ熊本」を指導、ダンス関係の収入で生活を成り立たせ、最愛の妻と5歳の娘を養う。
13年にリオのカーニバルに参加した後、日系社会の人々と知り合い、「きれいな日本語を保っている。本来の日本文化を無くさなかった人たち」との印象を持った。
熊本に移住した後、城南町でブラジル国旗を目にしたことをきっかけに、ブラジル移民の父・上塚周平氏を知り感銘を受ける。顕彰会は上塚氏を紹介する紙芝居を保有しているが、披露する機会が少ない。マサシさん主催のイベントで紙芝居の上演を行い、新聞取材を受けたこともあったという。
来伯したダンサーの多くはカーニバルが終わるとすぐに帰国するが、マサシさんはプロミッソンで上塚氏の墓参りをし、弓場農場などを訪れ、2月末まで滞伯する。
帰国後は日伯をつなぐ活動も行なう。熊本出身ジャーナリストの日下野良武さんと連絡を取りながら、18年の移民110周年に向けて文化交流のため、実行委員会の立ち上げを計画している。
「日本は自国文化を軽んじ、コミュニティも崩壊し、隣に誰が住んでいるか分からないような国になってしまった」と話し、「移民の方々は、日本に『本来の日本』を教えて欲しい。ブラジルで日系社会を作り上げた力を、今度は日本人を目覚めさせるために使ってほしい」と訴えた。
□関連コラム□大耳小耳
熊本で活躍するサンバダンサー・マサシさんは、踊り手として枠にこだわらず活動したいという。その1つとして、熊本市現代美術館と組んで、なんと絵の具を足につけ、踊りながら絵を描くイベントを計画中。速く複雑なステップも難なく踏んでしまう彼の足は、一体どんな絵を作り上げるのだろうか。マサシさんのホームページではダンス動画が公開され、活動内容を知ることができる。(http://amor-brasil.jimdo.com)、または「アモー ブラジル」で検索。
タグ:日系 伯 東日本大震災 移住 上塚周平 日伯 弓場農場 サンバ カーニバル リオのカーニバル 写真ニュース 移民110周年 ブラジル リオ 移民