巨大日本庭園?
出稼ぎ帰りの中には――マリンガー出身者以外でも――ここに居を求める人が多い。ただし仕事は、農業を選ぶ人はいない。
マリンガー文化体育協会、略称アセマの会員は900人。毎年、日本文化週間を催している。今年で24年目になる。日本語学校や宗教団体が協力する。舞踊、生け花を披露し、日本食を出す。1、200~1500人がボランティアで働く。
さて、これは周知のことであるが、2014年、このマリンガーで「パルケ・ド・ジャポン」が出来上がった。
このパルケ、10年前から建設が始まり、日本語の新聞には「日本庭園」と訳されて紹介されていた。日本から専門家が来て指導した――ともあった。広さは10万平米で、その巨大さが読者を驚かせた。
が、筆者はスッキリしなかった。日本から専門家が来て指導する以上、本格的な日本庭園の筈である。が、そうとすれば、相当高い質になろう。美観、清澄さ、静けさ、品と格……。しかも10万平米などという広さになると、造成には莫大な資金がかかる。完成後も、清掃代だけでも馬鹿になるまい。それを、どうやって調達したのか、あるいは、するのか?
その後、新聞紙上では「日本公園」と訳語が変わった。公園なら資金の必要量は少なくなる。が、質は相当変わろう。
庭園か公園か……釈然とせぬまま過ぎた。
未だ完成前の2013年、筆者は、このパルケを訪れる機会を得た。中に入ると、小さな日本風の庭があって、そこを少し歩くと、突然、足元の土地がスーと切り落とした様に低く下がって行き、それが遠くまで続いていた。広い眺望が前方に開け、小さく見える日本様式の建築物が二つあった。
実際は大型のレスタウランテ、イベント会場ということであった。ほかに、点の様に見える茶室があった。その周囲には広い池が造られるという(左前方に体育館もあるが、これはパルケとは別)
やはり、日本庭園を構想している様であった。 それにしても広大で、急な傾斜のある庭園である。もともとの地形を生かして設計したのであろうが、この土地を日本庭園にするという大胆な発想には息をのんだ。こういう発想のできる日系人が居ったのか……と感嘆もした。
ところが、それは前市長のシルビオ・バーロス氏だという。パルケの所有者も市であった。
2008年の日本移民100周年の記念事業として、その数年前、市長が企画した(最近聞いた処では、10万平方メートルというのは一部の遊休部分も含めての数字という)。
このプロジェクトは、連邦・州両政府の支援も得た。無論アセマは協力した。その一つとしてマリンガーと姉妹都市の兵庫県加古川市に――JICAを通じて――専門家を派遣してもらった。
2015年現在「パルケ・ド・ジャポン・メモリアル・イミン100」という団体が市から請け負って管理している。鈴木エドアルドというご老人を会長に、日系人、ブラジル人60数人が委員になって経営に当たっている。
維持・管理費は市から援助があり、レスタウランテ、イベント会場からの収入も予定している。 パルケのチーフ・マネージャー、富居(ふごう)メアーリさんは「ここで、非日系人にお茶や日本風食材その他に接して貰い、日本のことを大事に思ってくれるようになって欲しい」という。 今後、このパルケが本格的な日本庭園を目指すのか、単に日本風の公園になるのか、あるいは第三の新しいスタイルを打ち出すのか……筆者には見当がつかない。
いずれにせよ、パラナ州に於ける「日本的なるもの」の屈指の存在になって欲しいものである。