山中三郎記念バストス地域史料館に展示されていた「水野龍の航海日誌」と「脇山甚作退役陸軍大佐の軍コート」が、サンパウロ市のブラジル日本移民史料館と共同所有されることになった。12日、バストス日系文化体育協会(ACENBA)で調印式が行なわれ、両館の代表者が出席。2点の移民史料は今回の調印により、保存に難があると言われてきた山中史料館から、サンパウロ市史料館に移動され、適切な環境下で保存されることとなる。
水野龍は縦5センチ、横12センチほどの手帳に、1908年の第一回移民船「笠戸丸」での航海事情やブラジルでの様子をつづった。ブラジル移民の祖が記した、貴重な移民史料の一つだ。
脇山甚作は日本帝国軍の元陸軍大佐で、コートは軍人時代に使用していたもの。45年10月、日本の敗戦を説明した「終戦事情伝達趣意書」に署名した内の1人であった。翌年6月、「勝ち負け抗争」で殺害された。
調印は関係者100人が見守る中、バストスのビリジニア・ペレイラ市長、移民史料館の森口イグナシオ運営委員長、サンパウロ市文協の呉屋春美会長、ACENBAの真木勝英会長の間で交わされた。
ペレイラ市長は山中三郎史料館に関し、「このバストスの地で山中氏が、移民の史料を後世に残すために尽力してくれたことが、当地の発展にもつながっている」と謝辞。呉屋会長も「山中氏の名を持つ史料館と共有の調印式ができたのも、氏の偉大な功績によるもの」と賛辞を送った。
森口運営委員長は「航海日誌に歴史的な瞬間が刻まれていることを思うと、胸が熱くなる」と話し「脇山大佐の軍服も、歴史の一幕を改めて見直すことが出来る貴重なものだ」と意義を語った。
調印式では移民史料館側から山中史料館へ、水野龍航海日誌の電子端末機が贈られた。現物はサンパウロ市に移されるが、山中史料館でも引き続き、電子端末によって航海日誌の内容を見ることができるという。タッチパネル式で日誌の画像を見ることが出来る機械とあって、代表者らも興味深そうに画面に触れていた。
記念品の交換が行なわれた後、バストスの著名な養鶏業者・薮田修さんが乾杯の音頭を取り、参加者はACENBA婦人部の用意した料理を楽しんだ。
元サンパウロ州高等裁判事でバストス出身の渡部和夫さんは、「日系コロニアだけでなく、日伯の関係をつなぐ大切な史料。劣化する前に保存環境の良い場所に移せて良かった」と話した。
山中三郎氏の長男で元バストス市長の山中安彦さんも、「サンパウロに展示されれば、より多くの人に見てもらえる」と今回の調印を喜んだ。
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移民史料館の山下リジア運営副委員長によると、水野龍航海日誌と脇山甚作の軍コートの展示時期は未定だという。元サンパウロ州高等裁判事の渡辺和夫さんは、「移民史料館にもバストスと同じ航海日誌の検索機が置かれる予定。歴史を調べる研究者も助かるだろう」と話す。100年以上も前に紙に書かれたものだが、画像データに保存しておくことで後世にも確実に残る。他の移民関係書類も、紙がボロボロになって読めなくなる前に、画像データにして残す時期が来ているのでは。