これは、日増しに深刻な多くの国政問題に悩む左派マドゥロ大統領政権下のヴェネズエラの話である。目下、パラグァイのお隣ブラジルの左派ジウマ大統領もインピーチメント騒ぎで今にも政権から追い出されそうで騒々しい。加えてアルゼンチンでも左派のクリスティーナ前大統領に代わった中道右派のマクリ新政権の登場で、あたかも南米の「二十一世紀新自由主義」の勢力は末期的症状を呈して来たかの様相である。
国際通貨基金・IFMのヴェネズエラについての政経事情の予測は墓碑的な悲惨的評価で、そのインフレ率は720%に達する恐れがあり、生活必需品の価格は8倍にも膨れ上がるだろうとしている。
つまり、これがゆえチャベス大統領が鳴り物入りで唱導喧伝した、いわゆる「二十一世紀新自由主義」の遺産なのである。
ラ米大陸左派の新しい夢として期待された理想の改革論は、あれやこれやの多くの欺瞞政治の正体を暴露し、今や崩壊の憂き目にあるのだ。
「良き革命児たる高貴な野蛮人」とは
ここで思い出されるのは、未だに記憶されるヴェネズエラのジャーナリスト、故カルロス・ランゲルが40年も前に書いた、今も現実性を失わない内容の「良き革命児たる高貴な野蛮人=Del buen salvaje al buen revolucionario」と題する著作である。
同じくヴェネズエラの著名な女流記者のソフィア・インベルと結婚したランゲルは、当初は単に活動的なジャーナリストとしか知られていなかったが、その未刊の原稿があるとき、密かにフランスの作家で解析学者のジャン・フランソワ・ルヴェルの目に留まったのが幸運だった。
哲学者でもあったジャン・フランソワ・ルヴェルは自由思想家で、暖炉に近づく猫の様なマルクス主義のインテリ族に抵抗を感じていた人物。先述のランゲルの原稿を見て、この様な南米の国で自分と同じ思想を共有する作家=ジャーナリストが存在する事に感嘆し、早速これを仏語に訳して「Du bon sauvage au bon revolutionaire」の題名で、フランスにおいて刊行し、一躍有名になった。
原語のスペイン語で出版されるよりもずっと以前の事である。
南米大陸神話掘り起こし機運つくる
かくしてランゲルの著書はフランスのインテリ層を広く魅了し、南米大陸の歴史の神話を掘り起こしたのだった。そして、このあまたの神話は確かに現実に背を向けたものであった。
その内の一つは神秘な〃高貴な野蛮人〃であり、コロンブスがスペインのカトリック両王に奉じた書簡の中で、彼が発見した新世界の第一印象を述べ、「その新天地にはより良き土地と、より善き住民に勝るものは他にはない事を謹んで両陛下に誓って申し上げます」と報告している事である。
以降、最初の征服者コンキスタドール達は夫々独自の貪欲な夢を追って、エルドラド(黄金の地)、即ち「地上の楽園」を、または「不老の泉」や「アマゾンの王国」を求め漁ったのである。
そして神話の最後に至る前に「良き革命児」の歴史を弁護したのが、南米人が従来生きて来た、正に厳しい現実を生々しく著述したランゲルであった。
それは、秩序的で明快な健全政治のアメリカ合衆国と対照的な、ラ米の独立戦争で産まれたトラウマ精神動揺的各共和国の実状を描写したものである。
ボリーバルが集権的にまとめようとした第19世紀及び、第20世紀初期における大コロンビア構想の崩壊は、続いて輩出した多くの首領が統御する各領地と化し、頻繁に内戦や反乱クーデターが連発した。
福祉大衆主義という理想
その後、ラ米政治の舞台に登場したマルクス主義は、アメリカ帝国主義がいかにラ米の富を搾取し続け、貧困な後進諸国のレベルに抑制し維持し続けている責任者であるかを強調するのだ。
ランゲルはビクトル・アヤ・デ・ラ・トーレの思想に始まり、共産党の創設までを含むフィデル・カストロや、チェ・ゲバラのテロ武力による政権奪取など、大陸イデオロギーの全ての変種を解析した。
当初、キューバの共産党員達に取るに足りない「小ブルジョアの反逆冒険家プッチスト」だとしか見られなかったフィデル・カストロは、あにはからんや、全大陸を包含する革命神話の最高リーダにまでなったのである。
ランゲルは旧ソ連の崩壊(1991)や「恥辱のベルリンの壁」(1989)の倒潰(開放)を見ずして、1988年にカラカス市で亡くなった。だが、キューバの遺憾なる共産革命の悲惨な現実は、とくと観察し嘆いたのだった。
当然、自国ヴェネズエラでかつて二十世紀に敗退した政治体制が、改めて尊大な「二十一世紀新自由主義」の名の下に復活するとは思いもよらなかったであろう。
ヴェネズエラの貧困層の目を眩ませるのに、先ず好んで使用された武器は、キューバで触発された〃霊感熱帯マルクス主義〃による「福祉大衆主義」とそのイデオロギー信条である。
しかし、ニコラス・マドゥロ大統領の政権下でそれらの虚構は早々と正体を暴露した。
飢餓、貧困、不足、不安などに喘ぐ民衆の苦しみは、政府高官や汚職で目に余る裕福な生活をしている特権階級と対照的である。
この様な現象は、あるいは確実にカルロス・ランゲルが巧妙に描いた「良き革命児」の神話の終焉を最終的に告げているのではないかと云える(註・これは当地の5月3日付のABC紙に載ったコロンビアの「El Tiempo紙」の記者で作家のPlinio Apuleyo Mendoza氏の投稿記事を参考にしたものです)。