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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(5)

 誠にめでたく、神戸港より新造船「ぶらじる丸」一万五〇〇総トンの移民船は、昭和三十一年(一九五六年)十二月二日、海外移民(移住者)を乗せて神戸港から横浜港へ。ここで東日本移民組が合流。総勢一五〇〇、六〇〇名の移住者を乗せて、貨客船「ぶらじる丸」は南米各国に向かった。
 真冬の太平洋へ――。いやはや、予想はしていたが、「ぶらじる丸」の巨体が木の葉のように上下左右に、揺れるわ、揺れるわ。さしものつわもの揃いの船員さんまで船酔い。客も右往左往。何と最初の寄港地ロスアンゼルス港までに十一日かかった。その間、色々あった。
 千年太郎青年は安心して乗っていた。ただし、船酔いにはいささか悩まされた。ベッドに寝てはいるが、船酔いで「ワァ、ワァ」喚く周り、同室者が堪りかねて、乗り組員の看護婦さんを連れて来る。太郎青年は、看護婦さんに優しい言葉を掛けられると、アラ不思議キョロリと直る。看護婦さんが「お大事に」と言いながら行ってしまうと、五分も経たないうちに、また「うーん、うん」と唸りだす。
 看護婦さんが、また優しい言葉を掛けるとキョロリとなる。周りの人達に食べ物を貰っておいしい美味しいと良く食べる。大体船酔いの人は食べ物は口にしないのが、パターンのはず。不思議な男ではあった。十分も寝たかと思ったら、また「うーうー」とやりだした。今度は看護婦さんが馬の注射器程の物を持って来た。それ見た太郎君は驚いて、二段ベッドの上から飛び降りた。太郎君、一目散に雲隠れ、何処へ行ったやら。
 看護婦さんは「大体、あの人の船酔いは、この注射器を見れば解かりますよ」と笑いながら、しばらく待って見たが、青年は戻って来なかった。ところがしばらくしていたら、食堂から船員さんが千年太郎さんの班長さんはどこですかと来た。皆が「ハハン」と来た。また何かやらかしたか。
「ハイ、実は千年さんが五、六人で、食堂の片隅で酒盛りを始めて居ります」
「ほぅ、中々やるね。それでどうしました」
「呑気な事言ってる場合じゃないですよ。いいですか、外は大荒れ、大しけです。船の上に波が打ち上げて前が良く見えません」
「うんうん、そりゃ大変だね」
「それでどうしました」
「どうしたも、こうしたも。千年さんとか言う人が、少々小降りになったスキに、デッキの扉を開けて二、三人で看板の外に出て、打ち上げられた魚を掴み取りの無鉄砲。それを刺身にしたと大騒ぎしています。こんなことが船長さんの耳に入ったら前代未聞、どんな事になりますか。恐ろしい事です」
「ええっ、そりあぁ一大事だ。何とかせにゃいかん。皆集めよう。でも皆な船酔いでゲロゲロ遣っとりますけん」
「船員さん達で何とかして収めてください」
 と、そこへ太郎、上機嫌で帰って来た。
「おい千年、この野郎」と誰か言った様だが、飛びついてまで、行く自信が無いようだ。
 そりゃあ、そうでしょう。自分の足元の方が怪しい。滑稽な騒動で万事休す。皆知らんぷり。一巻の終わり。うやむやにすぎた。
 さて、気候はガラリと変わり、大西洋は正に真夏であった。
 そして二週間が過ぎた。ぶらじる丸はベネズエラに近づいていた。その首都カラカス港、ここで楽しい赤道祭の話が、誰からともなく聞こえてきた。だが何をするのか、船員さんがやってくれるものと、好奇心が高まっていた。
 そんなある日、副船長格の笹山乗客担当部長から呼び出しが来た。