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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(10)

 まず出されたのはパンとコーヒー。コーヒーは正に本場であるから良しとしても、「パン」は余りにもかたい。それに「マンテーガ」なる乳製クリームと、「モルタンデ―ラ」を挟んだ「サンドイッチ」である。これがどうも、日本人には妙な味で口に入らない。匂いも強い。「これからブラジル生活には避けて通れぬ『トーマカフェ』(朝食)である」と聞かされては、仕方なくうなずく他なかった。
 日本を出る時、聞いてはいたが、現地の食べ物には、独特の匂いがあり、昔の移民も戦後移民も同じく、当分は悩まされる。日本を出る前から承知の事であるから異論は出ないが、皆な遠慮がちに手を付けない。これを眺める接待がかりのご婦人は、予想していたものと見え、顔見合せて微笑んでおられた。
 だが、青年本人らは「大変なことになった」との表情もうかがえる。食文化の違いという洗礼をうけ、これから先が思いやられるのである。千年太郎青年もご多分に漏れず、行く先々が心配である。
 ブラジルは一月と言えば真夏である。暑い暑い日々が続く。だが木陰に入れば、さほど蒸し暑さはない。これが大陸と島国では違う。日本のような蒸し暑さはない。ここに島国と大陸の気候の良し悪しがハッキリしているのである。
 さて早くも昼食か夕食か解からない時間に食事が出た。何やら雨で到着が遅れ、色々と予定時間が狂ったようで今頃の昼食らしい。
 出された食事を見て、一同嬉々とした声が出た。「移民先の食事では二度と出来まい」との覚悟でやって来たブラジルで、白いおにぎりがテーブルの上に一杯ではないか。
 その上、豆腐の味噌汁までが出ている。この時の嬉しさ「たかが豆腐」「たかが味噌汁」等とお笑い召さるな。日本人食文化の原点と言っても過言ではありません。これぞ大和民族と感じた。太郎君、何はともあれ、彼の「ブラジル大好き」が決定的な瞬間となった。
 ご婦人方のお話では、当時の日本人家庭は「醤油、味噌」、または好みで「豆腐、ナット」位は自家製が当たり前。「だいたいこれから貴方がたの行かれるところでは日本食主体ですよ」と教えて貰った。あの時の安堵感は、いまだによみがえってきます。
 それにつけても、一週間程度の研修の間、「そうめん、漬物、煮魚」等など不服はなかった。考えて見れば、それだけ戦時下戦後は惨めな暮らしだった事になる。コチア産組に足を向けては罰が当たります。
 とはいえ、戦中のこの体験が、彼の生涯を通して心の中に息ずく、日本的な「質素倹約」体質となった。お金があるのか無いのか、心配ごとがあるのか無いのかに関係なく、ノンキな彼はいつも飄々(ひょうひょう)としており、全く世間様に、気兼ねが無いようだ。
 彼の口癖は「毎日が幸せ。俺のような者とお付き合い下さる方々には感謝感激のほかになし」というもの。太郎君は先祖伝来、常に笑顔を絶やさない。誠に千年家直伝の世渡り術その物である。
 さて、研修所暮らしで一通りのブラジル事情は習得出来たところで、いよいよ、配雇先のパトロンが迎えに来る日が来た。朝からそわそわ、十時に講堂に集合。お待ちかねのパトロンの元へ、氏名を呼ばれた者は速やかに走って行った。パトロン一人に一名から二、三名の青年を引き受けて下さる人も居て、誠に賑やかな事だった。