最近立て続けに、本紙元記者から感慨深い連絡をもらった。一つ目は、今年3月に帰国したばかりの元研修記者から。《さっき、たまたま見つけた阿佐ヶ谷(東京)にあるブラジル料理店に行ったら、(昨年)4月に初めて取材した日本舞踊の先生が帰国して開いた店でビックリした》とのこと。これを聞いてピンときた。昨年6月に永住帰国した池芝流家元の池芝緑さんだ▼彼が昨年4月に最初に来社記事を書いたのが、たまたま池芝さんだったから実に奇縁だ。師匠は帰国前「日本でも割烹をやりたい」と言っていたが、ブラジル家庭料理店「Elisa」として4月15日に開店したようだ。サンパウロ市日系社会でその名をならした有名割烹「たまゆら」の女将だっただけに、ブラジル料理でも味は太鼓判だ。その毒舌も相変わらず冴えており、すでに「女将さんのしゃべりが凄い」と一部で評判になっているとか▼師匠は48年間の在伯中に300人もの弟子と20人の名取りを育てあげた。昨年4月26日に行われた「さよなら会」で、「サントスに上陸した瞬間から、町の汚さをみて『ブラジルは自分と合わない。帰りたい』と思った。そんな言葉を繰り返していたら、ある時、息子から『それなら帰ればいい』と言われて、スパッと決めた」と言っていた▼元記者によれば、師匠は「今はブラジルに帰りたい」と冗談めかして言っていたとか。コラム子も95年から4年ほど日本に行き、結局戻った〝出戻り組〟なので、この気持ちの変化に共感を覚える▼両国を行き来するうちに気付いたのは、両側に「行き違い」がある点だ。我々が当地でこだわるのは「日本的な良さや考え方」で、ブラジル人からもそれを求められる。でも日本に行った時に求められるのは「ブラジルに関する経験と知識」。まったく方向性が逆になる。当地では「ジャポネース」であることを拠り所にしている人が、デカセギに行くと日本人から「ブラジル人」と言われ、「自分はブラジル人だった」との自覚を深めるのに似ている▼「風になりたい」という日本の大ヒット曲は〃和製サンバ〃として有名だが、ブラジル人はほぼ知らない。ブラジル人が日本音楽に求めるのは、あくまで「日本独自の音楽性」であって「ブラジルらしさ」ではない。ブラジル音楽の本物なら、いくらでもここにあるからだ。こんな方向性の「行き違い」があちこちにある▼二つ目の驚きの連絡は、本紙元記者がOAB(ブラジル弁護士協会)資格試験に合格したことだ。北海道大学法学部を卒業後に渡伯して、弊紙で足掛け7年間も記者をした古杉征己さん(41、広島県)だ。10年前のちょうど6月に「弁護士になる」と一念発起して辞め、苦節10年、ブラジル人エリートですら超難関な試験に、この6月に合格した▼おもえば過去、当地で弁護士になった戦後移民には傑人が多かった。例えばコチア青年の今井眞治さんは38歳で苦学の末、連邦大学法学部の夜間部に合格し、5年後の78年に弁護士試験に合格。同年からブラジリアの日本国大使館顧問弁護士として活躍した▼もう一人、谷広海さんは早稲田大学政経学部を卒業後に移住。アラゴアス連邦大学法学部を卒業し、弁護士資格を取得した。ブラジル盛和塾の代表世話人、ブラジル日本語センター理事長などを歴任した▼当地で訴訟などの法律問題で悩む日本人は実に多い。古杉さんは正義感が強く、記者としても優れた才能を発揮していた。事実、彼が04年に書いた連載記事『教科書─時代を移して変遷』は日本で海外日系新聞放送協会賞の「キャンペーン・企画・連載部門賞」を受賞した。今後さらにコロニアのために活躍してほしい逸材だ。(深)