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ニッケイ歌壇(516)=上妻博彦 選

      アルトパラナ     白髭 ちよ

楽しみが又一つ消えて行く吾が人生の日暮時かな
歌友も師も無き吾の歌の道日日の歩みを短歌に託し
テレビにて見とれる日本の桜花恋いつつ逝きし父母に見せたき
ひと度も訪日かなわず逝きし父在らばNHK視せましものを
いかばかり恋しかりしやふるさとを偲びつつ過ぎし八十路の父は
(右三首『祖国はるかに』より抄)

「評」八十六歳、その作者の親御に寄せる思いの旧作を三首、合同歌集より抄(筆者)。

      サンパウロ      坂上美代栄

老いしより絵筆を持ちて習い継ぐ好きでも物は上手になれず
時をかけ描きしその絵手放すは育てし吾が娘嫁がすに似る
分かっている二兎を追うなの諭しだが我はあれこれ追うに任する
歌を詠む博識の友は頃合に素知らぬ振で電話を鳴らす
また吾は電話しくるるベテランに愚鈍な感想述ぶるもおかし

「評」二首目の心境、よく伝わる。三、四首に心を揺らすのであるが、それを越えようとする作者。『愚鈍な感想』が『博識』には時として合口ともなる。只管御精進を。

      バウルー       小坂 正光

老妻の日頃の丹精裏庭に幾種の花々色取りている
裏庭の妻の手入れのアセローラ、無花果、蘭棚、ジャボチカーバあり
蘭の種類幾多もありて美しく咲けば老妻表に並べる
無花果も色づく頃は紙袋で妻がつつめど小鳥がついばむ
小鳥等も日頃の食事人間と生きんが為の奪い合いをなす

「評」今回は身近なまわりに目を向ける作者。連れ添う妻の丹精こめた花卉類が目につくのである。安定した老後の生活が見える。

   サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ

窓により見入る西空晴れやかに明日の天気も心配無用
訪日の味も知らずに八十年よくも生きたり短歌と共に
一口に八十年というけれど何かと楽し口惜しいことも
日本の本読みながら思うことまだまだ変わる祖国の様子
吾ながら信じられないこの国に八十年をすごしたること
ジウマさんのことがはっきり決まるまで死ねぬと思う何か気になる

「評」短歌を生きる糧としてこの国に八十年、純粋な大和心が息衝いている。この国をあげて、頂点の大統領を突き上げている。『上一人』の孤独を知るまでは『死ねぬ』と言っているのだ。

      カンベ        湯山  洋

寒風に直立不動の細きビル朝日の窓に人影を視る
裸木が口笛吹けば思い出す吾故郷で震えた時を
寒き日やシャワー浴びるも一仕事脱ぐに暇取り着るに手間取る
夜寒来てカーテン揺する隙間風明日は霜かと畑が気になる
手袋に襟巻きをして散歩道季節外れの桜ちらほら

「評」素直にそのままを詠み下しながら、一言一句の無駄がない。読む者をして心安らぐ。上の区は独立して俳句でもある。

      サンパウロ      水野 昌之

統計では殺人事件の多き国平均毎日百人殺(あやめ)る
国民のレベルの高き日本と比べようもなし治安の悪さ
不景気で失職多き現代の貧こそ恐怖増える犯罪
サスペンスドラマのごとく簡単に人を殺める国となり来る
物怖じの我も覚悟を決めたれば捨て身になりて強盗逮捕

「評」この頃のNHKで、日本にも事件が頻繁に起きている。虚無的な殺人の様だ。ピストルでも有ったら、自殺大国になるのではとの思いすらする。この国の殺人は物ほしさの衝動、格差による貧からの犯罪、三首あたりが双方に通じるところか。いずれにしても『覚悟』は、と共感する。

      サンパウロ      遠藤  勇

姉逝きぬ子供や孫に囲まれて九十二年の幕閉じし姉
七人のきょうだいの仲次姉と我特に親しく交わり居たり
我が作の新聞小説入賞にわが事の如喜び呉れし
電話にて小説批判や文学論語りしことも思い出にあり
鍬を引き馬も使いて農作業男勝りの姉にてありし
身の丈に余る苦労に立ち向い愚痴を零さぬ姉にてありし
寡婦となり三十五年独りにて生活(たつき)を立てて独立独歩

「評」血を別けた姉弟もいつしかに、木の葉の散るが如く、時は移り、その回想の映像のみが残る。為すべき事なく終えて、諸行無常と言うべきや。

      サンパウロ      武田 知子

愛人の日とは知らずに夢に夫絆偲ばれ墓に参りし
底冷えや寒波到来指先の痺れ手足のままならぬ日々
気遣ひて電気毛布を持ち呉れし友の好意に心身も癒え
近頃の気候異変に後遺症癒やす国とて移住をせしに
移民祭献茶献花の進むうち読経の最中焼香をせり

「評」くり返しおそう寒冷波が骨身にこたえる現今、全体にひしひしと詠まれている。筆者のまわりも次々に風邪にやられ『電気毛布』の出番となっている。呉々も御自愛、御摂養のほど、祈り上げつつ。

      サント・アンドレー  宮城あきら

震源地益城の地底に活断層大地割れ果て激震のさま
数え切れぬ余震の波に身もちぢむ災難の人ら野宿は続く
一瞬に雪崩れ落つ土砂に車ごと阿蘇の学生ゆくえ何処か
屋外のテントに宿る被災者に余震はげしく雨降りしきる
二ケ月が過ぎたる今も住み家なく耐え難からむ避難所暮し

「評」熊本の震災に同胞を悼む心が伝わる。この自然の災害とは言へ、作者には過去の消し難い大戦の記憶がよぎるからである。

      サンパウロ      相部 聖花

常夏の国の花なるハイビスカス冬日を浴びて今日は花咲く
果物屋に葉付きのみかん盛られいてみかんの里のさましのばるる
けたたまし目覚ましのベルに励まされ今日も起き出づ寒き朝なり
はるかなり母の持たせし日本着はたんすのこやしとなり哀れなり
ミクロオンダこの文明の器のありて一人の食事も温かきを謝す

「評」三寒四温が逆になった様な気のするこの頃、齢のせいかとも思う。ハイビスカスが花ひらき、ポンカンが盛られると、更に寒が加わる。こんな時、日本着を身につけ、きっちりと帯を巻いたらいかにか温かろうに。冬の感の伝わる一連。

      グァルーリョス    長井エミ子

朝霧は思い惑いて開けもせず秋深まりし山家の森の
落葉(らくよう)はバラリバラリと音叩き山家すっぽり葉衣(はごろも)纏う
吾と汝はそっと小遣い渡しをる幾年流る巣立ちした娘(こ)に
サンジョンのくちなし色に埋もれた水子の墓の今も有りなん
夫(つま)と呼ぶ名の男子(おのこ)をばふる里の亡母(はは)に見せたき夢路借りても

「評」現代短歌に纏める詩才を感じる。旧派和歌をも読みこなしているふしが垣間見えもする。

      カッポン・ボニート  亀井 勇壮

この年も倖せあれと祈りつついくばくの屠蘇妻と酌み交う
ああ美味いこれが本当の倖せと真昼の畑で咽頭を潤す
夕月の光をたよりに濯ぎする妻の姿に詫びしさ覚ゆ
宵月に己れの影を地に映し今日も忙しく玉葱植える
育ち行く子等の真顔も声すらも望み叶わず無情な義父の訃

      カッポン・ボニート  亀井 信希

腕白の坊主も寐入りし一時を一人佇み星空身上ぐ
久々に家族揃いて夕餉するこのにぎわいに倖せありて
晩秋の虫の音遠く在りし日の父偲びおり眠れぬ夜を
気持をばしっかり持てと兄よりの文を手に夫がわれを励ます
争いて眠れぬ夜の淋しさを月に托して告げやらむ母に

「評」『父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し』みっちりと教育勅語で育った、なつかしい世代。この国に移り農に従事し、子を育てる当時の作。その子達がそれぞれに己がじし処を得て父母を見守っている。

      サンパウロ      武地 志津

絵手紙は故郷の山野偲ばせて秋の色濃き栗の一葉(よう)
“寒いけど躰は枯れない様にネ”と枯れ葉一枚の絵に添う一言(ごん)
窓を吹く風に煽らるカーテンの千切れんばかり空(くう)に吹き上ぐ
夕刻に窓を閉めんとカーテンを手繰れば目に立つ大きな汚れ
上階の誰かは知らね飲みさしのココアを窓より捨てしと見ゆる

「評」枯葉一枚の絵手紙に添えられた一言が、心をあたためてくれる。季節感に敏感な日本人ならではの詩情。

      サンパウロ      梅崎 嘉明

サッカー王のペレも杖つき歩みおり吾より若きに病む人多し
ボクサーのムハマド・アリの死を伝う吾等の時代を共に生きたる
わが歌碑と共に撮りたる猪股氏も亡き数に入り七年は過ぐ
贈られし十五の歌集その中の九人は亡くて残るも老人
吾が胸に思い残して過ぎ去りし友思う日よ雨降りしきる

「評」齢を重ねるにつれて、単純化され、純粋に際立つ叙情詩。五首下句にぴたりと据えている。