「蜘蛛女のキス」などで世界的に知られ、ブラジルを拠点に活躍した帰化ブラジル人の映画監督、エクトール・バベンコ氏(70)が13日夜、サンパウロ市のシリオ・リバネス病院で亡くなったと14日付伯字紙サイトが報じた。
バベンコ氏は1945年、アルゼンチンのブエノスアイレスで、ウクライナ系の父親とポーランド系ユダヤ人の母親の息子として生まれた。
20代の頃、欧州を放浪した後、69年にサンパウロ市に移って定住(77年に帰化)。ここを拠点に映画監督として活動しはじめ、75年に長編第1作の「オ・レイ・ダ・ノイテ(キング・オブ・ザ・ナイト)」を発表した。
同氏が国際的に注目されだした契機は80年発表の「ピショット」で、同作は米国の映画批評家賞などで数々の外国語映画賞を受賞。主演のマリリア・ペラも数々の主演女優賞を受賞した。
この成功でバベンコ氏はハリウッドに進出。85年発表の「蜘蛛女のキス」はアカデミー賞に4部門でノミネートされた。同氏は南米人で初めて監督賞にノミネートされたほか、主演の米国人俳優ウイリアム・ハートが主演男優賞を受賞。ブラジルの国民的女優だったソニア・ブラガが本作で本格的にハリウッドで成功した作品ともなった。
同監督は、メリル・ストリープとジャック・ニコルソンのロマンス映画「黄昏に燃えて」(87年)など、ハリウッドでの活動を続けた。その後、久々にブラジルに拠点を戻して製作した「カランジル」(03年)は、92年にサンパウロ市の同名監獄で起き、100人を超える囚人虐殺が国際的な社会問題となった事件を題材としていたこともあり、大きな話題を呼んだ。
同監督は長年、悪性リンパ腫を患っていた。遺作となった16年3月ブラジル公開の「メウ・アミーゴ・インドゥ(マイ・ヒンズー・フレンド)」は自伝的内容で、主演の米国人俳優ウィレム・デフォーに末期がんで死期が近い映画監督を演じさせ、話題となっていた。