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最前列に並ぶ安永家の皆さん
最前列に並ぶ安永家の皆さん

盛大に安永伯雄伝記出版=一族初の二世、日系初市議=38年間、死ぬまで現役貫く

 「安永一族は無形文化財だ」――安永家で最初の二世にして、プロミッソン市議を38年間も務めた安永伯雄さん(1917―86年)の伝記『De Hakuo para Maria Regina』の出版記念会が23日晩、同市立劇場で行われ、郷土史研究者で著者のマリア・レジナさんはそう宣言した。伯雄さんの友人や一族ら約200人が故人を偲んで集まり、グループ「民」が元気の良い民謡を響かせて会場を盛り上げた。


 「彼のように誠実な政治家ばかりだったら、今のブラジルは遥かに良くなっていた。人との『別れ』は物理的な死ではなく、その存在を忘れてしまうことだ。この本は彼の記憶を社会に定着させ、その存在を永遠にしてくれるもの」。伯雄さんと仕事付き合いが多かった、友人代表のレナート・ルキアリ元市長は、この刊行をそう位置づけた。
 伯雄さんの末弟ルイスさんは「兄の伝記出版会がかくも盛大に行われるとは、感動に堪えない」と目に涙を浮かべ、子供を代表して祐動さん=オザスコ在住=は「父一人では何もできなかった」と協力者を讃え、元パノラマ市長の岡地建宣(おかじたけのぶ)さんの挨拶文を甥・信明(のぶあき)さんが代読し、かつてお互いに選挙協力した深い仲だったことを懐かしみ、「伯雄のDNAこそ今のブラジルに必要」と持ち上げた。
 1914年に熊本県玉名郡から兄夫婦の耕夫・セキ、弟・良耕の3人が帝国丸で渡伯したことから始まり、2年前の4月に一族の入植百周年を祝った時には410人もが集まった。兄夫婦の長男として伯雄はモジアナ線で生まれ、安永兄弟が上塚植民地建設の呼びかけに賛同して18年にプロミッソンに転住後、出生登録された。
 〃上塚周平の墓守〃と呼ばれる安永家の最長老・忠邦さん(95、二世)は伯雄さんのすぐ下の弟、21年にプロミッソンで生まれ、現在もそこに住む。安永一門の象徴のような存在だ。
 忠邦さんによれば、良耕が「子供11人中、男が6人。もし日本にいたら戦争にとられて何人か死んでいたはず。ならば一人ぐらい社会のために尽くしてもいい」と考え、青年連盟を地盤として市議に推し、48年に初当選。以来、肝臓がんで亡くなる86年まで市議をつづけた。
 伯雄の次男・孝道(こうどう)さん(72、三世)は「夜中に困った人が来ても親身に話を聞き、病人がいれば、自分で運転してサンパウロまで連れて行く。そんな毎日を父は送っていた」と思い起こした。
 伯雄の孫エジソンさん(36、四世)は遺志を継ぎ、4年前から同市市議を務め、今年も出馬する。「伯雄の名に掛けて、政治家として間違ったことはできない。一族の名を穢さないように頑張りたい」と意気込んだ。


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 安永伯雄さんの長男・忠一郎さんによれば、「息子エジソンは7歳のとき『僕が一人前になったらお爺さんの跡取りになりたい』と言ったんで、『まさか!』って僕らは驚いたんですよ」と振り返る。忠一郎さんの兄弟では、政治家は一人も出なかった。隔世遺伝ではないが、孫の代に急にそのDNAが現れたようだ。忠一郎さんは「息子は気性がオヤジそっくり。なんでも徹底的にやるほうだから」と目を細めた。プロミッソン市では500票あれば市議当選間違いなしとか。10月の地方選挙に向けて準備に余念が無いようだ。