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実録小説=勝ち組=かんばら ひろし=(4)

 夕暮れに一人、太陽を見つめる源吉の目に初めて涙が浮かんだ。希望に胸を膨らませて祖国を出た姿に比べ、惨めで汚れたこの姿。苦しくても誰にも救いを求められない。異郷の孤独が身にしみた。
「母ちゃん」 ぽとりと涙は落ちると、乾いた土に吸い込まれて、たちまち消えた。
     *         * 
 昭和十七年、源吉は四十才台になっていた。取り引きの仕方もよく分からない借地農時代、散々ブラジル商人に苦しめられ、せっかく骨折って収穫した農作物も、二束三文で買い取られ、肝心の利益はあらかたそっちの方へ流れていくのを見てきた。そして自分の力が着いてきた時、
「よーし、それならば俺が集荷販売をやって、仲買の外人達にごまかされて泣き寝入りしている日本人を助けてやろう」と農産物扱い商を始めた。誠実で作る方の苦労を味わいつくした源吉の店にはすぐお客がついた。
「言葉も分かる源さんの店が出来て、我々日本人も本当に助かる」と地元の日本人も喜んでその作物を売りに来た。
 扱いの品数と量はだんだんと増えて、地元の街で信用は固まってきた。仕事の場数を踏むと商取引の色々の仕組みも分かって来た。
「うん、これからは百姓で、ただ作るだけというのでは大きな飛躍は望めないな。本当の実力をつけるには商売の方に力を入れねばならんわい」
 長い間のブラジル生活の経験と持ち前の実行力、それが壮年の知恵に結びついて、源吉の新しい分野開拓を成功させた。
 こうして今では人口七、八万というこの地方都市サンタクルースで「カーザ・アサヒ」と言えば指折り数えられる程の農産物、雑貨扱の店に成長していた。
「源さん、源さん、一寸ここを開けてくれ」
 日米の開戦以来、ブラジル側の枢軸国人への風当たりが強くなり、源吉の店でも無用な摩擦を起こさぬように、控えめに商売を続けていた。
 今日は一日の仕事を終えて、一家揃ってのなごやかな夕食を終わりかけたところだった。
「何でしょう、慌てた風に」。ふさは前掛けで手を拭きふき、表のサーラ[応接間]の扉を開けた。
「や、どーも。一寸ね、街の様子がおかしいんだ」
 コロノ以来の間柄の松太郎が息を弾ます様にして入って来た。
「アヴェニーダ(大通り)に外人達が大勢集ってわあわあわめいている。『敵国人、日本人を全部やっつけろ』『沈められたブラジル船の仇を取れ』なんて叫び声も聞こえて来るんでね」
「まあ、どうしたらいいでしょう。外人達はカッとなったら何を仕出かすか分かりませんからね」「とにかく外へ出ないようにして。私はもう少し様子を見て来ましょう」
 今までのくつろいだ部屋の空気が一変して、サッと緊張がみなぎった。
 日本軍の連戦連勝のニュースは在留邦人を大いに勇気づけた。「今に日本が勝ったら、俺は南洋の島を一つ貰うぞ」などと景気のいいことを言い出す者まで出たが、連合国側についたブラジル人には、そんな日本人の態度も癪の種だった。
 ついこの間も、街角のバーで通りがかりの日本人がブラジル人にからまれ、口論の果ては袋叩きにされた事件が起こったばかりだったし、また、サントス港の日本人は敵国人として全部市街地から追放されたとか、日本人には日増しに住みにくい環境になっていた。