いかに名だたる船乗りでも、長い船旅の途中には嵐に見舞われることもある――山田さんは「当選した直後、ブラジル経済が傾き、政策実施に回せる税金が激減した。市長の給料を削るほど」と苦渋の日々を振り返った。
「何とかやりくりすることに追われて、やりがいなんて考えられなかった。自分が企画したものはあまり上手くできなかった」と振り返った。 山田さんは当選時2400人いる公務員の削減を明言し、「無駄を減らして必要なところに資金を回す。現状は当たり前のことができていない」と赤字が続く財政面の改革を目指していた。
でも結果として人員削減は行なわれなかった。現実問題として、人間関係が近い地方都市において、古くから働く公務員を大量に切ることは一番難しいことだと痛感したようだ。「家で悩むことも多かった」という。
どんなに成功した経営者にとっても、政治家の仕事は一筋縄ではない。
翌7月23日、山田さんと息子エルトン・ジュンさん(39、二世)と共に、バスでブラスニッカ社のバナナ農場と本社を見学した。経営法が紹介され、また実際に働く16人の社員が稲盛哲学と自分の働き方について発表し、一行は真剣に聞き入った。
最終日の24日、午前9時からホテル内の会議室で山田さんとメンバーによる2時間に及ぶ勉強会が行われ、今回感じたことを各人が語った。
会議はまず、こんな自己反省の感想から始まった。あるメンバーが「山田さんと自分の10年を比較してその差に愕然とした。自分の理想とする社員、会社の形がそこに出ていた。見れば見るほど『これから自分はどうしたらいいんだ』と稲盛哲学に向き合えなくなった」との真情を吐露すると、沈黙が流れた。
一方、松田典仁さん(79、群馬)からは「まるで山田教のようだった。あそこまで社員を哲学に入れ込ませるのはすごい教育だ」と驚いた様子で語った。
盛和塾の元代表世話人、板垣勝秀さんは「たった4年で市の全課長に哲学の教えが行き届いたのはすごいこと。稲盛哲学ではなく、山田さんの人格が要因ではないだろうか」と普及具合を賞賛した。
水不足と生産コスト増加で収益率が低下する不況の中でも、土地を買い増しする山田ジュンさんの積極姿勢を賞賛する人も。一行の意見のやり取りは盛り上がりを見せ、現場を体験したがゆえの感動が伝わってくる会合になった。
最後に、市長を終えた後について聞くと、山田さんは「今後は会社の経営を息子に任せ、色々な場所で様々な試験栽培などをしたい」と語った。「市長の仕事を通して自分が居るべき場所、やるべきことに気が付いた。やりたいことがね、いっぱいある」と楽しそうに笑った。(終わり、國分雪月記者)