【ロサンゼルス共同=伊藤光一】第2次大戦中に米国のへき地に強制収容されていた日系米国人の体験を、絵画で語り継ぐ画家がいる。米カリフォルニア州在住のハツコ・メアリー・ヒグチさん(77)で「絵画は言語や人種に関係ない。経験を共有したり、興味を持ってもらったりするのに良い方法だ」と話す。
1939年にロサンゼルスで生まれたヒグチさんは、鹿児島県出身で農業を営んでいた父の吉岡ゴロウさんらと5人家族だった。日米開戦後の42年、米政府は敵国日本に協力する恐れがあるとして、日本にルーツのある12万人超を隔離。3歳だったヒグチさんはアリゾナ州のポストンにつくられた全米最大級の日系人収容所で鉄条網と機関銃を持った兵士に囲まれる生活を強いられた。
妊娠中だった母親キヨコさんは収容所内で4人目の子を出産。「子どもたちがかわいそう」と母が漏らしたのを覚えている。戦後、キヨコさんに当時の話を聞こうとしたが「話したくない」と泣きながら拒まれ、死後に出てきた手紙には「収容所を思い出すと、今でも涙が出てきます」と書かれていた。
ヒグチさんの絵のテーマは日系人の日常だ。監視塔やバラックの風景画から強制移住の命令書をモチーフにしたものまで、これまで約50点を完成させた。収容経験者を訪ねたり、関係者の日記に残された記述を調べたりしている。
2006年にカリフォルニア州サンディエゴの国際絵画展で最高の栄誉「ペインターズ・ヘイブン賞」を受賞。個展を開く機会も増えたが、訪れた米国人から「強制収容とは何のことか」と尋ねられることも多い。
戦争の記憶の風化を実感する一方で、将来にも不安が募る。大統領選で共和党のトランプ候補はイスラム教徒の入国制限やメキシコ国境に壁を築くなど移民排斥の色が濃い政策を掲げる。ヒグチさんは「戦時中に逆戻りするみたい。日系人は強制収容を恥として語りたがらないが、再び間違いが起こらないよう、つらい体験を伝えなければ」と話している。