ラファエラは集中を切らすと、無茶な攻撃を仕掛ける悪い癖があった。だから藤井さんは常々、「悪い形で飛び込んじゃダメだよ。あなたは簡単には投げられないから、焦ったらダメだよ」と指導してきた。
その日のラファエラはいつもと違った。投げてもポイントが奪えず、じれったい時間があったにも関わらず、我慢して耐えた。延長3分を過ぎた時に技ありを奪取。死闘を制したのは「強い精神面、覚悟があったから」と藤井さんは喜んだ。
疲労を抱えながら決勝戦へ。藤井さんは不安を押し殺すように、仲間にしがみついて見守った。相手はモンゴルの選手で、実はアジアの選手に強い苦手意識を持っていたが、対策を重ねた成果を出し、見事に打ち負かした。
「生まれ持ったパワー、身体能力は抜群。野生の直感というか、投げられる危機を察知するセンスや、好機を逃さない勝負強さが際立っていた」。短所を克服し、存分に良さを出し切った大会に、藤井さんも号泣した。そして、一番良い色のメダルを持ち帰った。
ブラジル勢にとっては大会初の金メダルでもあった。柔道に限ってはサラ、マイラが負け重苦しい空気になったが、「そんな逆境にこそ奮い立つ」と大きな信頼を寄せていた。「今までで一番良い試合を見せてくれた」と振り返り、「子どもたちに柔道をやりたいなと思わせるような美しい戦い方をしてくれた」と賞賛した。
大会後のラファエラは取材対応に追われ多忙だ。しかし『柔道は人生そのもの』と公言する彼女は、とにかく実践が大好きで「早く試合したい」と漏らしている。世界一の実感や執着はないのか、金メダルの首かけリボンはすでにボロボロらしく、藤井さんは「普通は箱に入れて綺麗に保管するでしょ」と〃自由人らしさ〃を笑った。
24歳と若いため「東京五輪も目指すはず」という。ラファエラは取材攻勢が一段落したら、もう一度大好きな柔道に励むつもりだ。復帰初戦は12月。「グランドスラム東京2016」に照準を合わせていく。
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藤井さんは任期を振り返り、「普段の専属コーチも私を信頼してくれ、代表での指導を一任してくれた」と感謝を示した。「これも日本移民が信頼を獲得してくれたからではないか」と想像する。
前任地の英国では指導を通じ、「日本式柔道を受け入れているようで、実は受け入れていないと感じる場面があった」という。おそらく「プライドが高いせいでは」と見ている。
当地では、「むしろそれ(日本式)が格好良い」。日本人への信頼感が醸成されたブラジルでは、藤井さんにとっても働きやすい状況が生まれた。「どこの国も同じだが他国の技術や文化を、そのまま全て受け入れるのは難しいのに」と、移住者による恩恵に感謝した。
当地の柔道はまさにその一例だ。選手個々にきれいな投げの得意技を持つこと。真面目に反復練習を繰り返すひたむきさ。重んじる礼儀。
そんな当地柔道の一場面に、「日本式柔道を垣間見た。サンパウロ市だとそんな色合いが特に強い」と感嘆する。着任当時は、ブラジル人選手から「センセイと呼ばれることに好感を覚えた」という。
英国にはその感覚は無い。ブラジルの柔道には欧米諸国にはない、日本人が築いた文化が確かに根付いていた。(終わり、小倉祐貴記者)
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リオ五輪後の藤井臨時コーチの進退はまだ決まっていない。「終わったばかりで将来の話し合いはまだ。でも契約元のCOB(ブラジルオリンピック委員会)は契約延長に前向きだと言ってくれた」。順調に延長の話が進めばきっと4年後の東京大会でも、2人の日伯柔道家がたくましい雄姿を届けてくれるはずだ。
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