多くの困難を乗り越えながら、日本とブラジルの最初の共同プロジェクトと言われる工事は前進した。本当に鉄を生産することになる高炉の火入れ――操業開始が若干の無理を承知で十月二十六日と決められて、高炉の周辺は一層の騒音と緊迫感につつまれ、戦場もかくやと思わせる雰囲気になった。
工事の遅れを取り戻すため、昼夜兼行の突貫作業が実施されると日本人も地元作業者も汗と埃に汚れた顔で、目だけを異様に光らせながら働いた。
十月に入って、そんな緊張した一日である。
資材管理を担当しているアントニオが生来の浅黒い顔をまた一層青くして、慌しく勝次の部屋へ入って来た。
「カツジ、大変だ! 羽口が盗まれている!」
「エッ!」と言ったが、勝次にもとっさには事態が飲み込めない。保管されているはずの羽口がない?
「なに、一ヶ月前にチェックしてたんでないか」
羽口は高炉の中へ熱い空気を送る吹き込み口にあたる。炉内の高温に耐えるため、その内側に冷却水を通す二重構造になっており、銅合金で出来ていた。耐久性が求められて、構造が複雑なのだ。ミナス製鉄の場合、当初の分は全部日本からの輸入品を準備していた。それが無いと炉内に熱風を吹き込めない、高炉の操業も出来ないことになる。
「行って見よう」
返事も聞かぬうちに勝次は立ち上がった。機材を置いてある保管用の建屋に入ると、羽口の入った箱が並べてある。羽口は壊れないように緩衝材で包まれ、日本文字も印刷されたダンボールの箱に入っている。その箱は更に木の枠で囲われていた。
台帳を調べてみるまでもなく、日本からの羽口は二十四個到着している。十六個は最初に炉に取り付けられるもので、後の八個は予備品だった。羽口は高炉建設途中で一旦所定の場所に取り付けられたのだが、精巧な銅合金で他の工事などで傷ついても悪いと、取り外され、元の箱に入れて、保管されていたのである。
今回、最終的に取り付けようと箱を開き始めたところ、中味のない、箱だけのものが幾つかあることに気付いたのだ。数えてみると丁度半数の十二個が無くなっており、十二個は手付かずで残っていた。
前方の箱は羽口が入っていたけれども、後ろに隠れた箱は、中味だけ抜き取って、外側の箱と木枠はそのままにしていたので、外見は変わりなく、気が付かなかったのだと言う。
資材係りは「どうやって」「誰が? 何時?」と詮索を始めたが、事の重大さが分かる勝次にはそれどころではなかった。どうして無くなったか分かったところで、羽口が無ければ、結果はゼロなのだ。