ブラジル文学アカデミー(ABL)設立者、マシャド・デ・アシスがABLで議長を務める様子を収めた写真が発見され、12月に発行されるABLの季刊誌「レヴィスタ・ブラジレイラ」に掲載される。アシス研究者のフェリペ・リサト氏によれば、この写真は05年12月発刊の「レイトゥーラ・パラ・トードス」にも掲載された、1905年10月31日に開催された会議の写真だというが、証拠となる記述や記事はない。
リサト氏は「ABLが今まで最古としてきた会議の写真記録は、1909年5月17日のルイ・バルボーザが議長を務めているものだった。今回発見された写真はABL最古の会議記録となる」とした。
写真内のアシスは、詩人のアルベルト・デ・オリヴェイラ、シウヴァ・ラモスの間という見えにくい位置に映っている。同会議は、ジョゼ・ド・パトロシニオの死で空席となった第21番目の議席をマリオ・デ・アレンカルに与えることを決めた会議だ。
リサト氏は、写真の人物がどうして「ブラス・クーバス死後の回想」、「ドン・カスムーロ」の作者アシスだと確認できるかを説明した。「雑誌の注解により、会議の正しい日付を確認できる。アシスはオリヴィラとラモスの間に挟まれて座っており、顔を確認するのは難しいが、本人である事は充分確認できる」と語った。
今回発見された写真はリサト氏によるアシスの肖像研究の一部となる。「『レヴィスタ・ブラジレイラ』の第89号では計38枚の写真を掲載する。その中には、1880年にイズレイ・パシェコが撮影した、完全に未公開の写真も1枚含まれている」と話した。
リサト氏は「レヴィスタ・ブラジレイラ」第87巻に、母親が死亡した際にアシスが悲しみを綴った「母の思い出」という未知の作品を掲載した。この作品は、1860年に「レヴィスタ・ルゾ・ブラジレイロ」にアシスが署名せずに発表したものだ。
「アシスが署名なしで文章を発表し、後から認知することは珍しくない。『母の思い出』の場合は愛する母親を失うという、誰もが本当に悲しみ、心痛める出来事の後だからなおのことだ」という。(12日付G1サイトより)