リオ・パラリンピックが閉幕した。一時は「五輪でさえやっとなのに、パラリンピックまで手が回らないのではないか」との危惧もあった。だが、その心配を打ち消し、チケット販売総数も200万枚を超えるという前回ロンドン大会に次ぐ史上2番目の結果で、大きなトラブルもなく無事に運営された。
バーハ地区五輪公園の様子は、チケット価格の高かった五輪の時と比べて、ブラジル人一般庶民の数が遥かに多かったことが印象的だった。種目によっては10レアルで観戦できるパラリンピックは、ようやく庶民の手の届く娯楽になったようだ。公立校の動員も多く、身障者のハンディを感じさせないプレーに見入っていた。
五輪公園のヒット企画は障害者スポーツ体験コーナーだ。車いすテニスを見た直後の観客で、興奮冷めやらぬままに体験したが上手にできず、「車いすを動かしてラケットまで扱うなんて…選手達がどれほどすごいことをしているか分かった」と語る少女がいた。
障がい者へのバリアフリー(建物内や街路での段差など物理的な障壁の除去)に目を向けると、リオはまだまだ健常者自体が〃あくせく〃生きている状態だ。行き交う人々の汗、叫び声、大きな車のクラクションなど、住人の猥雑なエネルギーが「シダーデ・マラビリョーザ」(素晴らしき町)の魅力の一部となっている。
そんな街では「多様性の尊重」といった言葉はよそ行きのお題目に過ぎないのかもしれない。しかし音もなくホームに現れる新型路面電車からタラップで滑るように降車する車いす利用者の姿を見ると、そうした様も今後変わっていくのかもしれないと思わされる。
「人々の心にスポーツのすばらしさ、多文化共生の精神、障害者を思いやる気持ちが広がったことが一番の財産。結果はすぐには出ないかもしれないが、ブラジルの未来にきっと良い影響が出てくる」と車いすで五輪公園を訪れた、リオ州連邦大学でアクセシビリティーを研究するレジーナ・コーエンさんは語った。
「五輪パラリンピックはイベントだけ行って、もう終わり」にしてしまうか。それとも市民の心に五輪精神が宿り、ブラジルの新たな繁栄のきっかけとなるか。今後が注目される。(終わり、規)