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道のない道=村上尚子=(1)

パラグアイへ

 気の遠くなるような広大な地に、私は立っている。
 ここはパラグアイにあるペドロ・ホワン・カバレイロという地区である。ブラジルとの国境のある町、ポンタポラン市から、更に十五キロメートル奥にある、コーヒー園である。
 私たち家族は、四十代の父母、十九歳の私、夫の茂夫二十一歳、弟保明十七歳、そしてあと、妹町枝十歳、弟、卓二七歳、合計七名である。この七名が農業移民として、一九五八年三月、福岡県からアフリカ丸でやってきた。配耕されたこの地は、人家はもとより、山もなければ川もない。ただただ平坦な地に、コーヒーの木が見えなくなるまで続いている。背後は原始林で、どこまで深いのか見当もつかない。
 ただ広いだけというのが、これほど不安で寂しいことだとは、はじめてする経験である。まるで、自分がぽつんとアリより小さくなって、呼吸をしているようだ。
 ところで、丸太で作った小屋が、原始林の側にあって、そのすきまだらけの建物が、私たちの住居として与えられた。
 日が沈むと、入れ代わりに月が出た。いつの間にかあの月が、パラグアイまでついて来ていた。月はすぐそこから、私を見下ろしている。私もこの昔馴染みと、長く見つめあった。

    回    想

 多くの移民たちは、一山あてて故郷に錦を飾るという夢をもって、移住してきたという。
 しかし私たちは違っていた。日本を捨てて来たのだ。その訳は、父が母を虐待し続けていたからであった。そこから母は逃れるため、子供たち四人を連れて、海外ならどこでもいいということで、移住の手続きを始めていたのだ。
 手続きに踏み切る一ヶ月前に、母が私に尋ねた。
「尚子……わたしはお父さんと別れようと思うとる……どう思うかね?」
 しみじみした、呟くような声である。母は九九パーセント決心がついていたらしく、最後に長女の私の気持ちを聞いて、行動を起こす力にしたいらしかった。
「夢ではないか?」
 どっと私の体に光がさしこんだ。この頃の女は、一度嫁いだら、そこがどんなに地獄であろうとも、離婚は考えるべきではない、という時代であった。その型を破ってでもという決意が、母の静かな声に表われていた。
 ところが、私は、自分でも意外な返事をしてしまった。まだまだ子供っぽいところのある私は、世間並みのことを言うロボットになっていた。
「私はお父さんとは別れない(一番逃げたい人なのに!)」
 心にもないおりこうさんなことを言っている私を、もう一人の私が、激しく祈るように見ている。このひと言が、それから後の母と私の人生を狂わせてしまった。
 母の決意のゆらいだところへ、更に父が涙しながら、母に手をついたというのだ!