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三上治子さんおめでとう=サンパウロ 平間浩二

  6月19日、サンパウロ日伯援護協会・サントス厚生ホームに入居されている三上治子さん(94歳)が、この度、楽書倶楽部に寄稿された随筆を一冊の本に纏められ『徒然なるままに』という随筆集を出版された。

 その出版記念祝賀会をしてあげようと、JICAより当ホームに派遣されているシニアボランテイアの与那覇順子さんの発案で100人分の「おでん」を作ることになり、当日はリオ時代からの友人である妻が手伝いに行くことになった。

 私自身も当ホームには関係があり、2002年から2007年までの約5年半、ボランティアとして指圧を行っていた。月に一度であったが、朝、当ホームに到着すると三上治子さんが必ず待っていてくれ、誰よりも最初に指圧を受けていた。それも5年半、毎回欠かさずであった。それが私にはことのほか嬉しかった。

 厚生ホームに来るのが楽しみであったのは、1日に8人位であったが、指圧が終わった後に皆から「痛みが取れた、身体が楽になった」と大変に喜んでいただける事だった。感謝の言葉を掛けてもらえるのが何よりも嬉しく励みにもなった。

 そんな中、何の前兆もなく私は突然に脳梗塞で倒れてしまった。幸運にも九死に一生を得たが、左半身がマヒしてしまった。肩・腕から指先まで激しい痛みと痺れがあり、指圧は全くできなくなってしまった。悲嘆に暮れている時、思いもしなかった人から一通の手紙が届いた。それは何と三上治子さんからであった。

 人はなべて、普段順調な時はちやほやするが、一旦どん底に落ちると全く他人のようになってしまう。それが世の常のようであるが、このような時に頂いた励ましの手紙は涙が出るほど嬉しかった。その時の手紙は今でも大切に保管してある。

 三上さんがエッセー集を出版され、そのお祝いに、何かしら不思議な縁を感じてならなかった。また『楽書倶楽部』を主催されている前園博子さんが、今回の三上さんのエッセーを出版されるのに惜しみなく協力されたのである。

 私もまた、楽書倶楽部には時々寄稿させてもらっているが、前園さんは分け隔てなく心優しい温厚な人格者であり、私は心から敬愛の念を抱いている。当日は、その刷り立ての本を持って来られたのである。

 私は今日、三上さんに「おめでとう」と言うべくここに来て、感激の再会を果たした。難聴になり、車椅子に身を任せていると聞いていたが思ったより元気溌剌さに驚いた。2人の眼が合った瞬間、破顔一笑抱き合って再会を喜んだ。

 三上さんの第一声は「平間さん! 9年前と全く変わってない!」であった。私も負けずに褒め「車いすには乗っているが、以前より元気になっているよ」と言って、2人して大声で笑った。周りの人たちは、不思議がって何事かと見ていた。

 11時頃から出版記念祝賀会が始まった。初めに、日毎叢書企画出版・楽書倶楽部の前園博子代表が、三上さんの随筆出版に際して心からのお祝いを述べられた。続いて三上さんが一言話されたが、感激のあまり声が詰まり、涙を拭くシーンもあり、出席者の涙を誘った。

 次に当ホームの土井紀文セルジオ運営委員長も、三上さんにお祝いの言葉を述べられた。その外に、以前ここのホーム長をされ、現在、援協の事務長をされている前園マルセリーノ武弘さんも駆けつけて、お祝いの言葉を述べられた。そして出版された本の贈呈式が行われ、出席者から盛大な拍手が起こった。拍手の後に、サントス厚生ホーム経営委員の青木実さんが乾杯の音頭を取った。

左から平間浩二さん、前園博子さん、手前車椅子が三上治子さん

左から平間浩二さん、前園博子さん、手前車椅子が三上治子さん

 昼食の時間でもあり、皆のお腹はペコペコのようであった。最初に「おにぎり」と「酢の物」が配られ、その後に熱々の「おでん」が出た。今日の天気は曇りの上、少し風があり寒かったので、お年寄りにとっては、身体が温まる「おでん」はちょうど良い出し物であったようだ。

 シニアボランティアの与那覇さんは、各テーブルを隈なく回り、行き渡っているか何度も確認して回っていた。お年寄りからは「とても美味しい」という言葉が聞かれた。私はその言葉を聞いて一人「ほっと」した。

 当日は大勢のボランティアの協力があった事も記しておく。

「冬深む出版祝ふホームかな     浩二」