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道のない道=村上尚子=(7)

 わき道にそれるが、とうもろこしでの思い出がある。
 その時から二年過ぎた頃である。弟は独学でスペイン語が何とか解りはじめていた。なので、こんな人里はなれた所にも、細々とした情報は入ってきていた。どうも隣の四キロ先にある所に、人殺しが住んでいるという。パラグアイ人の男で、今警察に追われ、そこへ逃げ込んでいるとのこと。
 当時のパラグアイの男たちは、よく殺し合いをしていた。理由は敵討ちである。たとえば何かのいきさつで相手を殺してしまう。すると必ずやられた者の子が、親の仇を討つ。それを又追いまわす。その仕返しは、何年かかろうとやるのだ。伝統的な慣習になっている。昔の日本を思い出す。
 なので、そんな男たちがいちがいに残忍な人間とは言いがたい。私たちは、その隣の男に逢いたくなってきた。こうして地球の裏側で、しかも人里離れた所に、二年も暮らしていると、むしょうに人間に会いたくなる。経験した者でないと分からない。泥棒でも、人殺しでもいいと思うようになる…… とうとうその男に、家族みんなで会いに出かけた。彼の家に辿り着いた時は、相当緊張していた。見渡すと家の周囲はおろか、ずっと向うのコーヒー園まで、とうもろこしが間作されていた。
―青々とした実の付いたとうもろこしが見事だ。
「ブエナ・ノッチェ」
 弟が家の中へ向かって声をかけた。やがて不精ひげの男が出てきた。三十歳くらいか? 彫刻のように彫が深く美しい。その顔が、むっつり観察するような目を向けた。
 弟が何か話しかけると、少しの間考えていたが、裏手へ案内した。たった今まで焚き火をしていたらしく、
「火の側に寄れ」という。
 私たちは、無言でそろそろ火に近づいた。この男はたった独りで住んでいることが、周りの気配から分かった。
 男は警戒をしているのか、黙ったままだ。飛びかかって来られたら、とても皆で相手しても叶わないだろうと、私は思いめぐらせた。背も高いし精悍である。焚き火だけが、しきりに火の粉を散らして赤々と燃えている。
 見上げれば、すっかり暮れた空に、煌々と星が光っている。焚き火に照らされた男の顔はいい顔だ。何か深く想いつめたその瞳は、もう随分色々な経験をしてしまって、今は違う世界をみつめているようでもある。この静寂を破って、わずかにスペイン語の出来る弟が話しかけてみた。男は静かに語り始めた。胸襟を開いてくれたのだー
 そのいきさつというのは、やはり噂通りだった。父親の仇を討ったらしい。そのため警察に追われている。このとうもろこしが乾燥し次第、売って又、逃げる。しかし乾燥するまで、待てるかどうか。このまま逃げなければならないかも知れない。―という内容であった。この時!
「どうか、とうもろこしの収穫だけでも、無事終わりますように」
 と祈ったのは、私だけではないだろう…… しかしあの男は、あの大量のとうもろこしを残して去って行ったー

     母  の  悲  鳴

 入植してから半年くらい過ぎた頃、突然、母の悲鳴が聞こえてきた。
 私たちは、家からかなり離れた場所で、草取りをしていた。気をつけていなければ、聞き逃すほど、かすかに叫び声がしている。