日本舞踊「花柳流金龍会」の創設者で、1年前に他界した花柳金龍師範の一周忌法要が1日昼、サンパウロ市の文協貴賓室で行なわれた。民謡や生け花など、舞踊界を越えた文化関係者も多く訪れ、100人以上が焼香に列を成した。
本名は松井荻野さん。14歳で日舞を習い、1947年に名取を取得。52年に当地へ移住し、翌年の会設立以来10数人の名取を輩出するなど、後進育成に精力を注いだ。
法要は東本願寺の尾畑文正導師によって執り行われた。法話では「人間誰でも死を迎える。松井さまは身をもって教えて下さいました」と話し、「悲しみは捨てずに踊りに精進していただきたい」と後進を激励した。
日本からは生前に交流のあった、二代目金太郎さんが追悼の言葉を寄せた。金龍さんの経歴を紹介し「外国で普及、指導する精神力や忍耐は敬服に値する」と称え、「電話で1時間以上話すこともあった。度々聞いた『がんばります、がんばります』という言葉が懐かしい」と思いを綴った。
名取を代表し、パラー州ベレンで活動する龍駒さんが代表であいさつ。「多大な功績を誇りに思う」と胸をはり、「懐かしい方々との再会は弟子一同の喜び。師匠もきっと天国で喜んでいるはず」と、訪れた参列者に感謝した。
会場には丹下セツ子さん、藤間芳誠さん、池芝緑苑さんらコロニア芸能業界の著名人ほか、援協の菊地義治会長らが訪れた。
コロニア芸能祭の実行委員長、楠本留巳さんは「先生の笑顔は今でも忘れられない」と偲び、文協の頃末アンドレ芸能委員長も、「『歩ける限りは門下生と共に』という言葉が印象的だった」と思いを馳せた。
追悼の意を込め、二世の龍伯3代目代表ら6人の名取が「桜」を舞い納めた。2代目の龍香さんは「先生と縁のある多くの方に来ていただけた」と感謝し、龍伯さんも「心の中ではいつも先生と一緒。門下生一同がんばっていきたい」と思いを新たにした。
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花柳金龍さんが91歳で亡くなって早1年。一周忌に訪れた日舞業界人からは、「後進育成が一番の功績。ウチと比べたら十何人も名取がいるんだもの」と称える声が。追悼の舞で披露された演目「桜」は弟子たちで決めたのだが、「少しモダンで分かりやすいから」と、後世への継承を意識したそうな。亡き師匠の思いは、ちゃんと弟子たちの心の中で生きているようだ。