難 産
この日も臨月の私は、焼けつくような日差しの中、切り倒してある大木を、移動させようとしていた。大木の両端に鎖の輪をつけて、その鎖へ棒を通し弟と二人で担いでいた。渾身の力で持ち上げて、数歩行くと急に腹痛がして、しゃがみ込んでしまった。抱え込まれて室の中に寝かされた私に、母は落ち着いた物腰である。
「陣痛が、始まったばい!」という。
彼女は産婆なので、全く不安はなかった。経験も深く、その中で珍しい話や、役に立つことを聞かせてもらっていた。この地区も、かなり離れているものの、この周りに数家族の日本人が点々と住んでいることが分かった。
この不便な所に産婆が居ることを、みな喜んだ。母はある一人のお産を、手伝った時の話を聞かせてくれた。この時の産婦は、二世であった。
「人にもよるけんど、大体二世は騒ぐ女性が多いとよ。そいでね、自分の体がそのために弱ってしもうて、子供を生む力がのうなってしまうとよ」
例えば、こんなことを言って騒ぐのだそうだ。側にいる夫に向かって、
「何で、あんたのせいで私がこんなに、苦しまなければならん! あんたなんかと結婚するんじゃなかった! 見たくもない!」などと(産後はけろりと仲良くなる)。
そしてきれいなピンク色であった肛門のまわりは、どす黒い色に変わって行き、弱っていく。一番大事な時に、最後の力を入れて、いきまなければならない。しかしすでにその力を無くしてしまっているので、難産になるとのことだ。それからみると、日本生まれの女性は、大体みな普通の出産ができている、という。
私はこの話を聞いて、心に誓った。絶対に、痛いとか苦しいとかいう言葉を吐くまいと……
初産にしては、どんどん陣痛の間隔が早まってきている。いよいよとなってきた。
「痛いとか苦しいとかは、口を閉じていれば大丈夫」
しかし思わず、激しいうめき声は洩れた。それにしても、ものすごい痛みだ。これほどの痛みを訴えない自分を、自慢したいと思う余裕はあった。どの位、時間が過ぎたろうか、ふっと少し軽くなった。「女の子よ!」というほっとした母の、喜びの声が聞こえる。その時である。突然、変な音が聞こえる。ジョーッ! ジョーッ! と、三秒おきに大量の出血が始まったのだ。周りの者たちの慌てる声が飛び交っている。そのうち私は、なんだか眠くなってきた。もうすでに痛みも感じていない。その時、父の怒鳴り声がした。
「眠るな! 壁の竹の数をかぞえろ!」
「一、二、三……」「竹の数をかぞえろ!」「一、二、三………」
ふたたび、私の意識はなくなったらしく、夢を見ていた。家の周りのコーヒー園の上を低くゆったりと飛んでいる。体は軽く、青空の下を気持ちよく…… 夢にしては、えらく鮮明なカラーつきの映像であった。
目が覚めると、どうやら医者が来ているようだ。二人いるので、一人は助手なのか、男のテキパキした声が聞こえる。十五キロも先にあるポンタポランの町から駆けつけたらしい。そのうち、なんと! 私の体から出かかっている胎盤を手にぐるぐるっと巻きつけ、引き抜いた。
「ゲオーッ!」と声が上がった。
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