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コロニアが誇る、知られざる世界的日系人

カルロス・ゴーン日産自動車社長(By World Economic Forum from Cologny, Switzerland (World Economic Forum Annual Meeting Davos 2008), via Wikimedia Commons)

カルロス・ゴーン日産自動車社長(By World Economic Forum from Cologny, Switzerland (World Economic Forum Annual Meeting Davos 2008), via Wikimedia Commons)

 「ママイ、僕のことをジャーナリストに話すときに、絶対に苗字を言っちゃダメだよ」。県連ふるさと巡り旅行で偶然出会ったある二世女性から、息子にそう釘を刺されたと聞いて興味を持った。聞けば、彼女の息子はサンパウロ州立大学卒で、なんと世界有数の自動車メーカー「日産」の常務執行役員をしている▼なんでも「僕はブラジルでは知られていない。もし知られると、引き抜きとか、うるさいから言わないで。ゴーン社長からそう釘を刺されている」と念を押したという。あのカルロス・ゴーンだ▼母は続ける。「同じブラジル三世として、お前とは特別に気持ちが通じる部分があるって、ゴーンさんが言ったそうなの。だから別の会社から自分を引き抜いたって」。カルロス・ゴーンは、ロンドニア州都ポルト・ベーリョ生まれのレバノン系ブラジル人三世だ。祖父は13歳の時に、ボリビアとの国境「グァポレ直轄州」に入植した。同州は56年に改名して現州名になった▼「グァポレ」に聞き覚えがあると思って調べてみると「トレーゼ・デ・セッテンブロ植民地(旧グァポレ)」だった。1954年に戦後移民29家族が入り、「グヮポレ移民」と呼ばれた。河口の町べレンから、なんと2週間も船でさかのぼった奥アマゾンだ▼ゴム生産を目指していたが、州政府のずさんな計画で断念。《血色のない顔色、頬がこけ、欠けた歯、重労働で痩せた入植者たちの群れ》(『グヮポレ移民50年史』87頁)という酷い状態で「幽霊植民地」とまで呼ばれた▼ゴーンの祖父は日本人と同じように地方部に入植し、ゴム仲買商をしていた。二世である父の代に州都へ移り、奇しくも日本人が同地入植した54年に、ゴーンは誕生した。州都のどこかで日本移民と顔を合わせていたに違いない。6歳の時、祖父の地レバノンに戻り、フランスで教育を受け、仏ミシュランを経てルノーにスカウトされた▼財政危機に瀕していた日産とルノーは1999年に資本提携を結び、ゴーンは日産自動車の最高執行責任者に就任。人員整理などを敢行して「コストキラー」(経費削減の鬼)の異名をとる▼短期間で経営立て直しを果たして03年には米フォーチュン誌は、ゴーンを称して「アメリカ国外にいる10人の最強の事業家の一人」と呼んだ。ルノーと日産の両者は2010以降、全世界自動車市場の約10%の占有率を誇る▼ゴーンの経歴を日系ブラジル人に譬えれば、二世が三世の幼子を連れて日本に永住し、そこで育った子供が米国に留学して高等教育を受けて、世界を代表する企業の社長に育ったようなもの。日本政府がちゃんとデカセギ子弟を受け入れて教育を受けさせる体制を作れば、ゴーンのような逸材がいつか日本から生まれる▼件の二世女性に聞けば、リオ五輪開幕式に出席するために息子は数年ぶりに帰郷した。たしかに日産はリオ五輪のスポンサーだ。母は「4年も帰ってこなくて2時間半しか家にいなかったわ。家族は本当に寂しい思いをしているのよ」と嘆く。「息子は忙しいから、会うためには日本まで行かないと・・・」▼息子の名前をネット検索してみたら、日本語と英語でたくさん出てきた。驚くほど有名人だ。だが、不思議なことにポ語で検察しても記事はほぼゼロ。「米国駐在時にスカウトされて日本に行った」そうだからブラジルでは無名。今回「普通のサラリーマンと同じ格好で一人で帰ってきた」とか▼そこでピンときた。「ブラジルで知られて困る」理由は、彼自身ではなく、実は家族の方にこそある。世界的に有名なビジネスマンの家族だと、一般に知られれば誘拐される危険性が大だ。息子が心配しているのは「引き抜き」ではなく、きっと家族のことだ。日系人らしい気配りといえる。コロニアが誇る、知られざる世界的日系人の一人だ。(深)