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道のない道=村上尚子=(19)

 ひろ子が歩くようになった。一歩一歩両手を広げて、私へ向かって来る。嬉しそうに……いつでも支えられるように、私も身をこごめて両手を広げた。そんなに大きくなってきたひろ子。これを毎日おんぶしての草取りである。暑さと疲労の戦いである。炎天下の下、ひろ子のお腹と、私の背中のぴったりした箇所が煮えるようだ。子供は大丈夫だろうかと不安である。
 私たち親子とも、かぶる帽子もなく刺すような暑さの中、一日中エンシャーダをひいた。そのエンシャーダを振る度に不自然に私の体が揺れる。その揺れに、ひろ子は身をまかせている。体を洗ったように流れる汗を拭き拭き、ああ、やっと一時間は過ぎた。又一時間……と、日が落ちて家に帰れる時間を、ただただ数え続けた。
 草を取るグループは二つに分けられている。私たちのグループは、茂夫と私、山城家の娘三人となっている。私はどうしても、一番仕事が遅れていたが、必死でみなの後を追って、エンシャーダを振った。
 朝、仕事に皆で出かける時間になると、晴れやかな顔の茂夫は、軽々とエンシャーダを担いで表へ出る。同時に娘たちも出て来て、朝からころころと笑いころげている。この殺風景な場に、まるで花が咲いたように、空気を変える娘たち…… 私もひろ子をおんぶして、慌てて皆の後を追う。その時、茂夫が何かゴミでも払うような声と態度で、
「おまえ、来るな!」と言う。そして声を変えて、
「なっちゃん! みよちゃん! みんな行くぞお!」
 と言って行ってしまった。
 子供をおぶっての私は出足が遅れ、その速さについて行けない。畑の現場までは遠く、どこも似たような景色である。迷子になりそうになって、やっと彼らの声を頼りに辿り着いた。この家で食べさせて貰うには、当然私も働かなければ許されるはずもない。

 数ヵ月後、宝くじにでも当たったような、嬉しいことが起こった。
 それはあの哀れなほど貧弱な鶏が卵を生んだのだ。茂夫が手に握ってきた。小さな小さな卵。ピンポン玉より少しましか……無理もない。あの小さな鶏が生んだのだ。丈夫そうな殻に包まれていた。茂夫からそれを受け取った時、手に乗せたこの小さな卵の重みが、ちゃんと伝わる……ただ嬉しい。この生卵を、ちいさな器に入れたご飯に、割ってかけ、それに醤油を少々落とした。そばに座らせているひろ子の口へ、さじですくってそっと入れてやった。
 この子にとって、生まれて始めて食べるご馳走である。ひろ子は、口に含んだまま上を向いた。そして目を細め、喜び一杯の顔で、左右に首を振り続けているではないか! この幸せそうな我が子を、茂夫もじっと見つめていた。この日からひろ子のために、毎日卵を探した。なにしろ放し飼いなので、いつも生み落とす場所が違う。茂夫と二人で捜し回った。場所は変えていたが、毎日生んでくれた。ひろ子は卵かけご飯を食べさせると、必ず満面に笑みを浮かべ、首を振った。私だけは相変わらず飢えていた……

 日本人が多く入植したせいで、この頃はポンタポランでトマトを食べる者が増えてきたという。味が分かってきたのだ。この家の近くにも、日本人家族が住んでいる。この人たちは、最近トマト栽培を始めていた。畑はすぐ近くで、もう収穫真近となっているのを耳にした。