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道のない道=村上尚子=(20)

 家計の財布は一郎が握っていて、それに何の不満もなかった。年中現金の顔はあまり見ない世界にいたので、家計を任されようが、そうでなかろうが気にもならない。
 一週間もした頃、一応家の中のことは慣れたので、改まってバールを覗いた。二、三人の客が、ピンガを飲んでいる。陳列ケースの中には、ぱっとしない「サルガード(前菜)」が並べてある。
 一郎は、ただこの店のピンガを売ることしか頭にないようで、自分もこの面白味のない店で、一杯、二杯と飲むうち、かなりいける口になっていたようだ。

 私は店で売るものを何か作りたくなってきた。その理由は、たとえば散髪屋なら髪をぼうぼうにしている者を見ると、ついハサミを持って追いかけたくなってくる、あれである。
 私もこの貧相な店に、それと似たような気持ちが湧いたのだった。目を付けたのは「パステス」である。その中味は「鰯」にしてみることにした。生きのいい鰯は、背骨を取り、すり潰した。これににんにくや調味料を利かせ、玉ねぎを刻み込んで、それらの材料をさっと炒めた。鰯がぷりぷり感のあるよう鮮度を重視した。パステスの皮も手製で、具をたっぷり入れた。
 この町には一軒だけ、パステスの専門店がある。中国人が経営しているのだが、パステスの皮が美味しい。噂によると、密輸入が本業らしく、店はそのカモフラージュだという。
 この主人に、社交家の一郎が聞いたことがあった。パステスは、皮が秘訣だと言って、それを教えてくれたのだった。それは豚の油をメリケン粉に少々混ぜるだけで、あのサクサク感と深い味になるという。私はこれを真似た。この皮で包んだ鰯のパステスは、初日、恐る恐る十五個出してみた。一個も残らず売れた。次の日も多めに出した。全部売れた。
 一郎は、これについて何も言わない。しかし売れるということは、客が気に入っているということだ。三日目から、四十個にした。それでも完全に売れてしまった。
 家事片手での食品作りは、大変な作業ではあった。が、楽しかった。私一人で拵えられる限度は、五十個までであった。表のバールから、がっかりした声が聞こえてくる。
「今日はパステスはないのか」
「もうないよ」
 そのうち、パステスは作ったらすぐ売れる。わざわざ家庭に持ち帰る者が何人も出て来た。
「パステスを、大量に作る方法はないものか…… イビウーナの町中に売るのは?」
 私は真剣に考え始めていた。取るに足らない才ではあったが、どうやら私は料理というより、商売が好きなようだ…… この時は、このことに自分でもあまり気付いていなかった。
 一郎がこの店をやって、楽しそうなのを数度だけ見たことがある。
 ある葬儀の日のこと。
「さあ! 忙しくなるぞお!」と言ったかと思うと、「ガラ、ガラ、ガラ」とよろい戸を力強く引き下ろす。すそは少しだけ開けてある。
 イビウーナの町は小さい。街の中を巾の広い道路が(一キロメートル位)伸びている。この道路は坂になっていて、その坂の一番下は教会である。そして、これを登りきった所に、私たちの店があり、そのすぐ近くに大きな墓地があるのだ。死者が出ると、まず下の方にある教会へ入る。それが済むと、パードレ(神父)を先頭に、葬列が厳かに登ってくる。埋葬のためだ。