ブラジルに景気が出てくると『クルゼイロ』、パラグアイなら『グアラニー』というお金を、商人たちは欲しがる。この町からブラジルへ、移民たちは脱出することになる。彼らは、所帯道具を担いで逃げて行く。
するとパラグアイの兵隊は、見ぬふりをしてブラジル側の兵隊へ通報しておく。その家族が汽車に乗って、ブラジルの領土に入ったとたん、密入国者として捕え(汽車の中で)、日本人の持っている所帯道具から、現金、針の一本まで取り上げ、裸にして、パラグアイへ追い返すのだという。
その勝利品は、パラグアイの兵隊と山分けするのである。幸運にも私たちは、ブラジルへ入国できた。面白いことに、父はその兵隊たちより、ブラジルの領事館を恐れたという(捕まると思ったらしい)。後で分かったが、領事館という所は、そういう困った移民を保護するところだと知った。
イビウーナに着いた。ここの大農家、寒野さん宅で旅装をといた。みな良さそうな人たちであった。
私たちは、このイビウーナから数キロ奥のサルトという所に入植した。パトロンとの契約は「メイヤ(半々)」という条件である。この「メイヤ」とは、農業にかかる費用一切を、パトロンが払い、収穫物の売り上げから、その経費を差し引くのだ。そして残額を折半する。このシステムは、私たちのように裸同然の家族にとり、安心できた。後になって、この「メイヤ」というのは、奴隷制度のひとつだと耳にした。
なるほど働いても働いても、金はひとつも残らないように出来てはいたが。
しかし、あのパラグアイでの生活を思えば、感謝こそすれ、家族の誰一人、不満のあろうはずもなかった。
この地域は、起伏の多い地形である。すぐ隣にも日本人が入っている。向かいも日系人の若夫婦が住んでいる。左端には、独身の青年が一人で住んでいる(コチア青年として来て、独立している者らしい)。それぞれ数百メートルしか離れていない。私たちの家屋も入れて、どの家もパラグアイにいた時のものと大差ない。
水は十分過ぎるほどある。家のすぐ横へ迫っている森から流れてきている。父は、工夫して太目の竹を割って、数本繋ぎ合わせた。樋の代わりにするのだ。家のすぐ側に流し台を作り、そこへ樋を引いた。炊事は室内と外とで上手にこなせる。
風呂へも樋を引いた。ただ、この水は、初めての人が飲むと、下痢をするのだそうだ。私たちも猛烈な下痢をした。けれども、一日の勝負で、後は皆、ケロリとした。その洗礼を受けた後は、誰も何ごともなくなった。
美味しい水だ。この流れを利用して、父は小さな池も拵えた。我が家も一応、落ち着いたある昼時、
「ひいーっ!」
と、ひろ子の叫び声がした。私は風呂場で、水を浴びている最中であった。このただならない声に、裸で飛び出した。すると、池の側で、ひろ子が家を背に立っている。そのまん前に、緑鮮やかな蛇がいる。蛇と、ひろ子の間は五十センチもない。そこで鎌首をもたげ、ひろ子を睨みつけていた。
「私は今、裸になっているのだ」ということが、ちらりと脳裡をかすめた。が、行動に出た!
タオルを体に当てて、ひろ子と蛇のいるすぐ横の土手から、そろりと降りた。その巾五十センチくらいの中へ割って入ったのだ。蛇に目を逸らせてはいけないことを知っている。