サンパウロ 遠藤 勇
夕暮れて雨音激し雷しきり待ちいし豪雨爽快に降る
雨上がり初夏の朝風心地良し両手差し上げ深く息する
夏の陽は強い光を地に注ぐ成長の夏躍動の夏
紺碧の大空翔ける大型機額から抜けた絵のように行く
夏雲は白く大きな造形美陽光浴びて輝いており
「評」『待ちいし豪雨』と言いたいほどの旱気が続いていた、その気持ちが充分に伝わる。なればこそ『爽快に降る』であり、『両手差し上げ深く息する』のだ。三首の下句、いよいよ躍動の夏につづく二首が輝いている。
グァルーリョス 長井エミ子
そうですネもう河口です故郷です潮干狩りした終戦の日々
あの頃は地球に優しかったんだ祖母の作りし竹皮にぎり
ふる里は白きカーテン閉じるよう思い出のボール転がりて洧ゆ
吾も汝も土竜なりしやいにしえは背きたくなる招待状
毎日を尖りて紡いだ夫は今垣根に憩う春日なりたる
「評」思考の流れを引き寄せながら、クローズ・アップさ
せていく、口語技法そして『日び』と結ぶが、限りなく広がる物がある。そして、車窓からの走馬灯の様な実景でもある。
<み吉野の象山の際の木末にはここだもさわぐ鳥の声かも 山部赤人>
<家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る 有間皇子>
『祖母の作りし竹皮にぎり』
サンパウロ 武地 志津
命日の娘(こ)にと届きし蘭の鉢遺影にぴったり藤色の花
身障者オリンピックの選手たち並(な)べて明るきさまが胸打つ
これぞ血と汗の結晶感動にひたすら見守りしパラリンピック
後絶たぬ自然の災い熊本の阿蘇山噴火に街は灰色
天災の続く近頃輪をかけて起こる人災無くせぬものか
「評」一首二首の下の句に作者の心象が佳く表現されている。特に『遺影にぴったり』は読む者の裡にまで広がる思い。日本の日本人には、自他共に周囲を気にする風潮が、いまだに残るが、この国のそれは、高齢者、身障者への身心全体で手助けするのに躊躇いがない。だから『胸を打つ』のだ。
カンベ 湯山 洋
去年より今年こそはと汗流し希望に燃えた青年時代
芽が伸びた花が咲いたと言いながら忙しかった子育ての頃
実り来る季節の物を卓に盛り家族や友と笑った時も
生涯を現役でいたいこの思い畑からの風が未練を誘う
恙がなく一筋の道歩み来て幸せだったと感謝する日々
「評」農業一筋に生きたよろこびを謳歌する氏の、現実肯定の声。『畑からの風』は次世代をも包み込んでいるからこそ、もっと一緒に畑にとどまりたい未練なのだろう。純朴なまでの農村歌、だからこそ『幸せだった』との感謝にまで昇華されている。
サンパウロ 相部 聖花
朝六時明かるくなれりテレビにて夏時間の報聞きてうべなう
道端のたんぽぽの黄のあざやかさ、ささやかなれど處を得て咲く
芽吹くとは言い得て妙なりいちょうの葉次々芽吹きて扇形なす
フェイラにて何か嬉しくかぼちゃ買う下げたる値札に「KABOCHA」とありて
二人の孫エスコテイロの制服で挨拶すれば頼もしく見ゆ
「評」一般に些細な事象でも、この小詩型の三十一韻律にのると、得も言へぬ美しさを増す。これが連なって一様に作品風景をなした時、そこに歌詠みの世界が見えて来る。
サンパウロ 武田 知子
旅用意残る野菜を味噌に漬け帰宅の膳にと独りでも主婦
お茶会か念腹忌かと迷えども体力叶ううちにと旅え
十時間白河夜船のバスツアーマリンガの朝囀りの中
鳥居有るパルケの中に点在の茶席めぐりも薫風の中
黄昏て月も円(まどか)に微笑みて一期一会の茶会果てたり
「評」大いに旅をエンジョイされたい。充分に文化の為にも細心されておられるからこそ『朝の囀り』も『薫風』や『まどかな月』も心身をこよなく癒してくれるのだ。そして一首目の『独りの主婦』の膳をも忠実に気を配る作者。
バウルー 小坂 正光
吾が拙著『南春』の発送、終了頃次つぎと礼状手許に頂く
和が拙著『南春』送れば梅崎氏は名著『短歌につづる…』を賜はる
後で知る梅崎氏と吾れノロ線の奥地植民地で隣接に住む
此の年の旱つづきに始めての昨夜は雨が激しく来たる
牧場主の待ちこがれたる天来の豪雨しばらく地上濡らしぬ
「評」過去をふり返えれば、今は良い時代でもある。互いに自分史を交換できる、そして無事を確認出来た時のよろこびは自身の存在を再認識出来たことでもある。そうした事を思い見ている作者のようである。
サンパウロ 坂上美代栄
ネット故障テレビ見られずひと月をなければ無しで過して来たり
案の定テレビニュースは変わりなく政治汚職の続きでありし
いつまでも幼児のごとき疑問ありそれも良しかと温存に決む
櫛の歯の欠けるがにとは真なり別れも言わず君は逝きたり
朧夜を賜る命大切に亡き人などと語らうもよし
「評」ふっと日頃気付かぬことに思い当たることがある。そうしたことを作品にすることは、俳句の世界にあるのではと思ったりする。『無ければなしで』とか『案の定』『それでも良しか』、坂上氏の作品であると思う。
サンパウロ 武田 知子
そのかみは短波放送訪日後倉前相撲と観戦の足
国技館本場の空気身に浴びて一喜一憂今はテレビで
千秋楽朝起きも済みもろもろの思ひ出胸にやっと朝寝を
引越しの度びに減り行くコレクション力士姿のチョコは口中
土俵下り贔屓力士は親方に豪栄道の思はぬ優勝
「評」起死回生と思いたい、過去の一瞬もあったればこそ、その後の一齣ひとこまが蘇って来るのかもと、全てに感謝であり、肯定である作者の事象詠。
千葉県・鎌ヶ谷 作木田やす
むつの里白き大地に佇みて夜空あふぎて故里を恋ふ
姑にそひ眼とづれば弱き手で我の頭(つむり)をなでてゐませり
病床に伏したる姑の胸の鼓動南の亡母の今際(いまは)思ほゆ
むつの里の姑の唄へる「おしまこ節」かすかな声に泪あふるる
久々にむつの里へと訪ぬれば姑は語ります我がそばに添ひ
慣れぬ手で老い姑の爪を切りやれば指の冷たし北の国の姑
ありし日の姑の手縫ひのちゃんちゃんこ春を待つ日の背にあたたかし
南北の四人の亡父母今やっと大地に帰り語りゐますや
「評」南と北の父母をかけて看取る、島娘、いまの日本にこの様な人間が居るのだと、つくづくと心根の優しさに胸を打たれる思い。そして心温まる作品である。
カッポン・ボニート 故・若杉照子
夕茜かすかに染みし雲ありて川の流れに暮色ただよう
ミシンよりしばし離れて陽溜りのマモンの下で子等と語らう
子等は皆寝しずまりたりかたわらの末子の寝息安らかにして
病むわれを気づかいいてか娘らはそっと部屋をば覗いてゆきぬ
父ちゃんは帰らないねと末の子は枕持ちきて傍に臥す
雨後の冷たき風の吹く夜は気づかいており旅路の吾子を
晩春の風に吹かれて吾子達と市長選挙のコミッショをきく
古井戸の朽ちたる蓋に黒々と巣をつくりいる蟻の一群
手も入れぬ庭の葡萄の熟せしか子等はときおり覗き見ており
散り落ちしアバカテの葉に埋もれてなかば朽ちたり古井戸の蓋
「評」四十七年も前、田舎の短歌会で歌会を楽しんだ仲間の一人だった。家族思いで、いつも生活に根ざした美しい作品を詠む人だった。立派に自立した子供さん達の目にとまる事もと思い、抄出した。