1995年に開発青年としてサンパウロのブラジル日本交流協会へ団体事務職で派遣され、ブラジルの広い胸に押し返されながら悪戦苦闘する日本人研修生とともに泣いたり笑ったり、様々な生きざまを見守った3年間は、ボランティアが「人のため」と意訳できるなら、まさにボランティアを体現した3年間だった。
我の強い僕が、あそこまで「自分のことはさておいた」時期は後にも先にも無かったように思う。しかしそれはとても充実した日々だった。
そして派遣期間が終了し、僕はブラジルに残ることにした。それまでさておいていた自分のことを考える日々が始まった。生活はそれほど豊かで無くても、新生活の日々は希望に満ちていたが、一方で自分のことばかりを考える生活は、それまでの3年間に比べると、何か味気ないものにも感じられたことを覚えている。
そして家族が一人増え二人増えするうちに、ボランティア時代の充実した記憶は、自分と自分の家族のことばかりを考える慌ただしい現実に段々と埋没していった。
あれから20年。僕は紆余曲折を経てブラジル地方都市の旅行代理店の経営者に治まっている。経営初心者時代は若さ故の野心が強く、その野心こそが会社を繁栄させる原動力だと思い込んでいた。
でも、どんなに小さな会社でも、野心という栄養素だけで繁栄させることは出来なかったし、結局何をやっていても、大事なのは他人のことをどれだけ親身になって考えられるかという、既に自分が20年前にやっていた実に基本的なことなのだなあと、ジワジワと再認識させられる経営者修行の日々だった。
一見全く無関係に見える二つの経験が、実は根っこでは繋がっている。人の根源的な価値観には、実はそれほどバリエーションは無いのかもしれない。
ブラジル移住の足掛かりともなったあの3年間は、一方で本当にかけがえのない経験を与えてくれた。このような機会を頂いたJICAには心から感謝したい。
島準(しまじゅん)
【略歴】東京都出身。48歳。1995年から3年間を海外開発青年(第10回)としてブラジル日本交流協会(サンパウロ市)で、団体事務を経て、ブラジル永住。現在はアマゾナス州マナウス市在住で、旅行会社を経営している。
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