翌朝10月1日(土)にホテルで、朝食中に参加者の笹島弘美さん(78、プレジデンテ・プルデンテ生まれ、二世)、妻のローザ・トコヨさん(72、アサイ生まれ、二世)に、ウマラマ日伯文化体育協会との交流会の感想を聞いた。
夫の弘美さんは「立派な会館で驚いたし、婦人部の食事も美味しかった。ヤキソバの入ったすき焼きが面白かった」と満足の様子。妻のトヨコさんは「パパイはアサイでカフェをやっていたが、周りは原始林ばかりで医者が遠いので、サンパウロへ出てサントアマーロで野菜作りをするようになった。アサイが懐かしいでの、ぜひいつかアサイへ訪問してほしい」とのこと。
トヨコさんの要望を聞きながら、故郷巡りは「地方団体との交流の旅」なのだから、同じ場所でも10年経ったら再訪しても良いのでは―と感じた。10年経つと大概の日系団体では役員が入れ替わっている。
特にバストス、ペレイラ・バレット、アサイ、アリアンサなどの大移住地、アラサツーバ、バウルー、マリリア、プレジデンテ・プルデンテなどの各線中核都市を「故郷」と感じている子供移民や二世は多い。
故郷巡りの運営関係者から「全部訪ねちゃって、もう行くとこなくなったよ」との声を良く聞くが、「再訪」することも大事ではないか。
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10年前からサンパウロ州東南海岸部のカラガタツーバに住む田口功さん(78、北海道出身)は故郷巡り初参加。なにげなく話を聞くと、あまりに豪快で興味深い逸話の数々に驚いた。
1962年に観光ビザで渡伯し、ブラジルが気に入ってカーザ東山商業部(現三菱東京銀行)で働くようになって永住ビザに切り替えた。「親父が『帰ってこい!』って帰国旅費を送って来たんだ。『しめたっ!』とばかりに、その金で商売やったら儲かっちゃてね」と豪快に笑う。
カーザ東山のカンタレイラ支店(市営市場)に勤務しているうちに、取引先のバラッカ(売店)の人たちから「そんな安月給貰ってないで、お前もバラッカやってみたら?」と誘われたのだという。主に野菜の仲買いをする店をやっていた。
「カンタレイラ時代、まだ青年だったアントニオ猪木がカヒーニョ(荷車)の人夫をしていてね。彼がよく『僕に仕事を下さい』ってよく頭を下げに来てたから、回してやっていたんだ。あの頃から身体がデカかった」。何気ない朝食の話に、アントニオ猪木が出てくるのは故郷巡り冥利に尽きる。
「アルファッセの箱には30ダース入っていて、ジャガイモの袋(60キロ)より重いんだ。それを猪木は軽々と担いでいた。力道山が来て連れて行っちゃたけど。あの頃はいつも腹を減らしてたな。あれが、今じゃ日本の代議士だから、日本もおかしいよね」と再び大笑いした。
「その後、セアザはピニェイロスに移転したが、そのまま僕も移った。あの頃は、とにかく百姓も日本人、バラッカも日本人、買いに来るフェイランテも日本人という日本人だらけの時代だった」と少し遠くも見る視線になった。(つづく、深沢正雪記者)