ブラジルのみならず、南米でも最大のロックの女王として知られるヒタ・リー(68)が自伝「ヒタ・リー~ウマ・アウトビオグラフィア」を発表し、話題を呼んでいる。
ヒタ・リーはカエターノ・ヴェローゾらとの「トロピカリズモ運動」で60年代後半に登場してきた実験的なサイケデリック・ロックバンド、オス・ムタンチスのリードシンガーで、日本のブラジル音楽ファンも含め、国際的にも知られている。日本でも流通していた彼女のソロ・アルバムは、このムタンチス在籍時のものだ。
だがブラジルでの彼女の名声は、ムタンチス時代よりソロ転向後の方が圧倒的に高い。70年代半ばには、よりストレートなロックンロール路線でロックの女王としての人気を獲得。75年のアルバム「フルット・プロイビド」の成功は、この当時は女性ロック歌手の成功例が本場の英米でも稀少だったことを考えても、世界的に異例なことだった。
また、1980年代に差し掛かる頃には、バックバンドのキーボード担当で、その後に夫となったロベルト・デ・カルヴァーリョと楽曲製作のタッグを組み、ここから「シェガ・マイス」「ランサ・ペルフーミ」「マニア・デ・ヴォセ」などの、より洗練されたポップな曲でヒットを連発。この当時は国内でもっとも人気のあるアーティストだった。
その後、80年代後半から長いスランプに入ったが、90年代の半ばほどからカムバックし、その後は若手からの敬愛を受けながら、マイペースながらも注目度の高い活動を続けている。
そんなヒタは、歌に限らず、私生活でも奔放気ままな言動でメディアをにぎわすことが多いが、それは自伝においても同じで、他のアーティストならあえて黙っているようなことも赤裸々に語っている。
それはまず、6歳のときに実家にミシンを修理しに来た男性から女性器にドライバーを突っ込まれたといった驚くべき逸話にはじまり、19歳の頃にムタンチスに加入した頃の話、同バンドの作曲の中心で恋人でもあったアルナルド・バチスタの精神上の健康状態(それがもとで、その後、数十年にわたり音楽活動を休止)の真相と同バンドの脱退、ソロでの人気獲得や夫ロベルトのこと。そして、これまで公に語られることのなかった妊娠中絶の経験や、人気凋落時の薬物中毒の治療入院まで、彼女のキャリアの最良の時期も最悪の時期も含め、正直に語られている。
人生の最悪なことについてもあえて触れたことに関し、ヒタは「自分の中のトラウマを殺したかった」と現地紙のインタビューで答えている。
近年では乳癌予防のために乳房の切断手術を受けたり、コンサート活動から引退したりと、自身の健康をいたわった日々を過ごしているヒタだが、そんな彼女の日常は自身のインスタグラムhttps://www.instagram.com/litaree_real/でも確認できる。実年齢を感じさせない、アート系の女子大学生のような瑞々しい感性はいまだ健在だ。
ヒタの自伝の発売日は正式には16日だが、サンパウロ市の一部書店では先行して店頭に並んでいるところもある。(5日付エスタード紙より)