そのうちに私はどんどん弱りきってきた。このままでは死ぬしかない……思い切ってドラム缶から出た。前が見えにくいほどの蜂の群れの中を、よろよろ逃げた。
この時、ふと庭を通り過ぎようとしたら、キナ粉餅のように膨らんだものが、力なくうごめいている。里子をわざわざ裸にして、日光浴をさせていたのを思い出した。蜂は二重、三重どころではなく子供にたかっている。里子は、蜂のために倍の大きさに膨らんで、泣くこともできないでいる。私は息を呑んだ。そしてすぐに意を決して、この子を蜂ごと抱いて逃げた。五十メートルも行くと、蜂の圏外に出ることが出来た。振り返ってみると、家の周り五十メートル四方は、空が暗いほどである。
たまたま、野良仕事から帰ってくる若夫婦に出会った。この人たちは、ブラジル人で、すぐ向かいに住んでいる。とりあえず、その家の前にある庭の土の上に寝かされた。今、体に触れているその土さえ愛おしいほど、回りに感謝した。そのうち隣の住田のオバサンも駆けつけた。彼女は、私の頬に刺さった蜂の針を、こそげるようにして落とし始めた。たわしのようになっている。
「今死んだらだめよ。子供がいるのだから」と、声を詰らせている。
その内、急に私の体がひきつけを起こした。周りから一気に「ぎゅーっ!」と押し寄せ、心臓のすぐ側でその力はぱっと散る。この発作が心臓にまで来たらおしまいだなと感じた。私は、急がないと危ないと、もうろうとした中で判断した。
「早く病院へ連れて行って……」
と力のない声で頼んだ。この時、私は生まれて始めて、わがままを言っていることに気付いていた。すると、
「あんたのマリード(夫)が、まだ池の方にいるのよ。みんなが連れて来たら、すぐ病院に行きますから」
忘れていた……一郎は、あの時あのまま、近くにある池へ向かって走り、やはり水の中に飛び込んだと後で聞いた。私と同じようなことを、本能的に行動していた。不思議である。一郎は池の中で伸びてしまい、五人の男たちに抱えられる程であったらしい。死体と変わらない重さだったとのこと。人々は、赤ん坊を入れてあの三人の内、誰か欠けて帰るだろうと噂し合っていたそうだ。
大学病院の無料受付の列に並ばなければならない。行列は、廊下の入口までが相当な人数で、更に入口から外へ延びているのこそ、本格的な行列という景観である。
私は、車椅子に座らされ、行列に並ばされた。一郎や子供はどこにいるのだろうか。「きっとそれぞれ受付けてもらっているだろう」と思った。前列や後列から、しきりに、抗議の声が聞こえてくる。
例えば、前のブラジル人のおばさんは「ああ、エウ・エストウ・モヘンド(私は死にかけている!)」と、感情を入れられるだけの元気がある。その横を、何の反応も見せないで看護婦達は、忙しそうに行き来している。そういった声を虚ろに聞いて座っていたのだけを、私は憶えていた。
後で聞くと、里子だけは、医者がすぐに診察室へ運び込んでくれたらしい。そして三人の医者が、里子の体中に刺さった蜂の針を抜いたそうだ。三百三十まで数を数えたけれど、止めたそうだ。おかげで三人とも無事に帰って来た。