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道のない道=村上尚子=(33)

 この蜂は「アフリカ蜂」といって、蜜が多く採れるということで、わざわざブラジルがアフリカから取り入れたものだそうだ。ところが、手に負えない獰猛な蜂だとは知らなかったそうで、何人もの死者が出ているとのこと。
 この蜂騒動の後、家に着いてみると、八羽の鶏は全滅、犬は本能的に暗いカーマ(寝台)の下へ潜り込んだらしい。そこから身動きもせず、むくんで寝ていた。後になって、私の弟たちは、
「バカだね、暗い所に逃げ込んだらよかったのに」と言って笑ったそうだ。
 彼らも、こんな恐ろしい蜂がいるとは、夢にも考えられないようだ。
 それから二日間は、だれも蜂に刺されたのに顔が腫れなかった。三日目から、顔でない顔になった。内々で指をさして笑いあう余裕が出来た。大量に蜂の毒が体に入ると、腫れる力もなくなるということが分かった。

 いよいよキャベツが出来た。これは肥料もいらず病気にもかからなくて上等である。しかしこの年のキャベツの値段は暴落した。出荷用の袋代さえ出ないほどであった。
 黒い土の上に、生きいきとした緑が並んでいた。これはそのまま掘り返し、棄てられた。
 二年目は、ボブリーニャを植えてみた、しかしこれは不作であった上、値段も泣かず飛ばずであったのだ。
 やはりトマトに限る、ということで再び挑戦した。この年は雨が多く、この地区一帯に、トマトにつく病気で「ベト」というのが広がっていた。隣の弟たちもトマトを植えていた。弟の保明は、町から「水銀」を手に入れて来た。
「これは、農薬会社は公然とは売ってないけんど、闇で売ってもろうた」
 最近、禁止令が出たとのこと。水銀というと、温度計に入っているあれなのだろうか。身が引き締まる思いがした。一応毒とは知っている、その弟は、かなり真剣な雰囲気で、仕事に取りかかっていた。
 雨は降ったり止んだりした。私たちの畑にもベトが発生し始めた。トマトの実もそろそろつき始めた頃、もうこの近辺の農家のトマトは、全滅とニュースが入った。私は保明が水銀で対処しているから、こちらも何かしなければ危ない! と思い、考えついたことがある。それは「トマトに『ベト』のついた部分の葉っぱを、一枚一枚、ハサミで切り落とす」というやり方だ。
 保明は噴霧器を背中に担いで、水銀液を畑に撒いている。頭から体中がびっしょり濡れて、しずくが垂れている。保明の体は、どうなるのだろう。
 一方、私はたった一本のハサミを持って、畑に入った。信が笑った。確かにこの発想は子供っぽいが、どうしてもやりたい。この日は、天気もカッと明るい。いつもと違って痛いような暑さである。一郎は、そんなことをして遊んでいるどころか、というように相手にもしない。
 私は、裁ち切りバサミで、真っ黒く溶けたような、ベト病のついている葉っぱに、ハサミを入れて見た。サクッと切れた葉は、ひらひらとトマトの根元へ落ちる。
『見渡すかぎりの、このトマト畑に、こんな悠長なことでどうなるのかな?』と、少々不安はあった。しかし、やってみると結構、仕事は進む。おまけに切り落とした葉が、二時間もすると、洗濯物が乾くように、ちりちりに乾いて小さく転がっている。