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道のない道=村上尚子=(34)

 畑全体は出来なかったが、大半はやっつけた。考えてみると、生きた葉に毒をかけても、まだ水分は根元から上がっているので、枯れることはない。
 私のやり方なら、もっと勝負は早いと思った。とにかく、この年のトマトは、弟宅と、私の家の二軒がこの地域では、収穫できた。今考えてみれば、一郎は、ハサミの件は何も言わなかった。第一、見てもいないかも知れない。
 トマトの値段は期待された。しかし雨はこの地域だけの話だった。なので、普通の値段であった。
(保明が水銀に触れたことは後に子供が出来なくなった、きっとそのためでは、と彼は思っている)。

 その後、何を植えても作物はうまく出来ない。すでに持ってきた金も底をついてきた。もう長いこと食品としての肉類には縁がなくなっている。
 朝のポンジーニョ(パン)も、一郎は信にだけ二個買って食べさせた。他の者はそれも食べられない。
 私の仕事靴も、履くものが無くなった。毎日裸足である。アルパルガッタという、わらじに布がついただけの安い履物も買えなくなった。作物は何を作っても、うまく行かなかったが、まだ一郎はがんばっていた。

 そんなある日、父が私を呼んだ。隣へ行ってみると、父が改まった口調で、
「あの男はつまらん。もう別れろ」
 と言った。私は親に愚痴を言ったこともないのに、父は一郎を見限っている。私は一郎に愛情らしいものは感じていなかった。第一、愛とか言われても分からなかった。けれども今、一番大変な時に、こんなことは考えられないと思った。
 そんな時、困ったことが起こった。娘三人が高熱を発した。三人ともまるで死体でも並べたように、ぐったりしている。そういえば私もすごい熱だ。薬らしい薬は何もない。ここから小さな山をひとつ越えた所に、小さな売店がある。
 細かいお金をありったけかき集め、その売店へ向かった。アスピリンを注文すると、手に握っているお金では足りない。私を入れて四人分、四錠欲しい。けれども三錠しか買えない。よほど店主に、もう一人分負けてもらえないか頼もうと、すがるような気持ちで、店主を眺めた。
 しかし、ポルトガル語のポの字も分からない私、その上自分の高熱と闘いながら、やっと立っている状況では、気持ちが萎えて断念した。アスピリン三個を、大事に握って帰った。三人の娘は、たちまちケロリと治った。私も次の日から熱が少しづつ引いていった。
 この家には、現金は、もうないのだろうか……
 
 その内、私は次の子を妊娠した。
 それから間もなく父母たちは、一キロ先へ引っ越して行った。その十ヶ月目に出産のため、一時私は父母の家へ身を置くことになった。今回の出産はまことに安産であった。陣痛がきたので、母は、
「どれ、タライでも洗ってこうかねえ」
 と言って外へ出かかった時、女の子が生まれた。やはり体を労ったことで、こんなに楽だったのか……名前は、琴子と私がつけた。これで五人の母親となった。

 一部の農作物のための金のやりくりは、どうしているのか知らない。けれども家の中は、食物がなくなって久しい。やっと野菜と、僅かな米を気にしながらの生活になっている。