あのピーマンくらいで、台所の苦しさが変わるはずもなく、家の中は何か陰湿な空気が漂う。ある日、信が重大報告のような構えで、
「今日は、ママイ(お母ちゃん)の誕生日だ!」という。
私は、ママイと呼ばれたことはない。であれば、生みの親のことである。
おまけに一郎までが、畑から帰って来て、心なしか肩を落としている。
「すまんな、今日は三加の誕生日で……」と言って、室の中へ消えた。
「なんだ? この家は?」
三加という女が、その辺に立ちはだかっている気がした。
それから数日後、日が暮れて、私は仕事から帰ってきた。風呂場のある、裏に回ってくると、その暗い場所で、風呂の焚口の薪が勢いよく燃え上がっていると思った瞬間! ドラム缶の中から、ひろ子が立ち上がった。
見ると、真っ赤というより、それを通り越して少し黒ずんでいる。同時に倒れそうになったひろ子に、飛びかかって抱き取った。子供は、私の腕の中で崩れた。信は行ってしまった。(病院が)頭をかすめたが、すぐに諦めた。
「どうした?」
「にいやんが(風呂から)出たら叩くいうた……」
か細い声でやっと答えた。信は、ドラム缶の下から火を燃やし、温度を上げていたのだ。恐ろしい…… その事件の醒めないうちに、今度は信が、入口の壁と戸の間に、ひろ子を挟んで押し潰そうとしている。泣いたり声を出したりしたら、もっとやられるらしく、私が見つけた時も、声を出さずに、ただ顔が涙で洗ったように濡れていた。
とうとう一郎に訴えた。すると彼は、
「にいやんは、そんなことをする子やない」
と歯牙にもかけない。結婚以来始めて深刻になってしまった。
そんな日も過ぎたある日、住田さんがフェジョンを一俵担いで来た。この男は、まだ四十代か、背のスラリとした、無口な人である。いかにも真面目な顔付きである。我が家がどんなに苦しい暮しをしているか、出荷物の取引で、分かりすぎるほど分かっているのだ。その彼が、フェジョンを黙って持って来て、黙って帰って行った。
私はこのフェジョンを見たとたん! ひらめいた。まんじゅうを作って町に売りに行こう…早速、住田のおばさんに、まんじゅう作りを習いに行った。
「まんじゅうを膨らす粉は、ブラジル語で何といいますか」
「それはね、○○○と言うのよ」
「どこに売っています?」
「薬局に行けば、あるよ」
後は行動するだけだ。一郎にわけを言って、メリケン粉と砂糖代を出してもらった。まんじゅうは、とても上手に出来たと思う。それを持って町へ売りに出かけた。私たちの唯一の財産である、トラットール(トラクター)にまんじゅうの箱を積んだ。そしてその後にしっかりと私は掴まった。運転は信がした。
「男の子は、こんな時頼りになるなあ。早いもので、もうトラットールの運転が出来るなんて……」
と、月日の移り変わりの速さを、揺られながら思っていた。運転している信の背中を見ながら、彼に少し身内を感じた。