2日夜にはカスカベル文化体育協会で慰霊法要が行われた。今回は天理教カスカベル教会(小笠原俊一会長)が法要を行い、猪俣会長と本橋団長が代表して献花をした。今回の旅で訪問した3カ所とも宗教が異なり、伝統仏教は一つもなかったのが印象に残った。新しい教団ほど信者開拓に熱心ということなのか。
その後、交流会でまず猪俣会長が「今年の県連日本祭りには60人でバスを借りて見に行った」と挨拶し、一行をよろこばせた。イグアスの滝までは1時間余りだが、サンパウロ市へはバスで16時間もかかる。田邉チズ婦人会長に聞けば「昨日から準備をして待っていた」とのこと。
交流会では会長の叔父、猪俣征幸さん(73、大阪府)が町の歴史を説明した。「1953年にカスカベルが生まれ、最初の日系人はクリチーバ連邦大学を卒業してブラジル人の夫と結婚した田中アラシ夫人(二世)で、この町に来てからカルト―リョ(登記所)をし、夫はのちに市議になった。彼女は日本語ができず、最近なくなった」という。
残念ながら歴史を記した団体記念誌は存在しない。「町で日本人は少ないが、大いに活躍している」と紹介すると拍手が湧いた。
『60年史』(83頁)によれば、最初に日本人入植者は1955年の長沢汎介、58年の川口松太郎と続く。日本人会創立は1968年で初代会長は大石春治。
続いて「前進太鼓」の指導者、植田ジューリョさんは「太鼓を通して、挨拶から片付けまで責任もってやることを教えている。これから披露するミリン(幼年)の太鼓は今年7月サンベルナルドで開催された全伯大会で1位になった」と挨拶すると演奏が始まった。
2歳の幼児から17歳までが混じって、全伯一位の妙技をいかにも楽しそうに、元気いっぱい披露した。
猪俣会長によれば、6年前に和太鼓チームを創設し、今32人全員が18歳以下のミリン(子供)部門で参加する。団体幹部は会長同様40代が多く、その子供が太鼓をやっている形だ。和太鼓という日系活動は小さな子供のいる若い夫婦にはうってつけだ。
「僕の頃は野球だったけど、15人いないと大会に参加できないでしょ。もう人数集まらないから太鼓に変えた。太鼓の練習に来たら友達ができる。練習の後にみんなで遊ぶのが楽しみで、どんどん増えてきた」とほほ笑んだ。
サンパウロから太鼓を買う費用を稼ぐために、ヤキソバ会を年3、4回開催する。「いっぺんに1200食出ますよ。来月12~14日はNipoFest。この時はヤキソバ6千食でます」。これだけ活発に活動が行われているとは、パラナは奥が深い。
「リオ・グランデ・ド・スルからマット・グロッソへ行くとき、フォス・ド・イグアスからクリチーバやサンパウロへ行くとき、必ずこの町を通るんです。便利な場所にあるから人が集まる。今じゃ大学が11ぐらいあるし、人口も35万人ですよ。Unioesteなど医科のある大学が多い」。猪俣会長はそう町の特徴を説明する。
「歯医者とか医師が多いです」。猪俣さん自身は家具店を経営する。「どんどん人口が増えているから、家具の需要も減らない」。(つづく、深沢正雪記者)