サンパウロ州プロミッソン市の上塚周平公園で19日に行われた『第3回サンパウロ州日系地方団体代表者の集い』の折り、現地の安永重郎さん(85、同地生まれの二世)から「運動会」に関して面白い話を聞いた。8月最後の日曜日に「上塚植民地入植」を記念して開催される。毎回1500人が参加する大規模なもので、7割がブラジル人という▼「準備は全て日系人。年寄りから子供まで家族連れで、市民みんなで一日楽しむ。だからブラジル人にもUndokaiで通っている。非日系も楽しみにしており、弁当をもって朝早くから場所取りなどしているよ」という▼障害物競争、借り物競争などの日本式の競技に加え、箸で豆を定数拾ってから走る「豆拾い」競争では「今じゃブラジル人も箸使いに長け、けっこうやるんですよ」とのこと。生卵の代わりにマカウバ(椰子の実の一種)を載せて走る「スプーンレース」もある。「市民みんなで一緒に楽しむ大規模な運動会は珍しいでしょ」▼少なくともサンパウロ市近郊のオザスコ、グアインベー(第2上塚植民地)、サンロウレンソ・ダ・セーラでも一般市民が参加する形で、大規模なUndokaiが行われている。でもプロミッソンは今年が第67回であり、市が誇る伝統行事だ。日本人が拓いた町の伝統行事がUndokaiというのは実にノロエステらしい▼『集い』の時、全アリアンサ文化協会の若本アキオ会長からも素晴らしい逸話が語られた。「僕が若い頃、まだ携帯がない時代、バレットスに車で向かう途中、タイヤが二つもパンクした。近くのタイヤ屋に辿りついたが金がない。ダメ元で『15日後に必ず払うからタイヤを売ってくれないか』と頼み込むと、逆に『いくつ欲しい』と店主から聞かれた。『四つともボウズの状態だから全部替えたいが、とりあえずパンクした二つだけでいい』と答えた。すると『今まで日本人から迷惑をかけられたことは一度もない。四つ売ってやる』と信用してくれた。先人が築いてくれた日本人への信用を失ってはいけない。我々はそれを受け継いでいかなければならない」と熱く語った。一人一人は決して英雄ではない。でも、地味な日々の積み重ねを見ているブラジル人がおり、それが集団としての「ジャポネース」の信用として社会に蓄積されている▼もう一つ彼が披露した話がある。デカセギ譚だ。「アリアンサから青年が何人もデカセギに行っている日本の工場がある。そこに僕も一時期働きに行った。あるとき、そこの社長と話す機会があり、『アリアンサというのは一体どんなところなんだ?』と質問された。『どこにでもある普通の農村です』と答えると、『そんなはずはない。アリアンサから来た青年は、いまどきの日本人以上に真面目で勤勉だ』と言われた」との話だった▼『集い』の最後までいた小野ジャミル市長(アンドラジーナ)のような存在も実に心強い。かつて福島県人会長、アンドラジーナ文協会長も歴任した小野さんは、「ノロエステでは日本移民が土地を開拓した後、ブラジル人に売って町に出たことを皆が知っている。大農場主になったのはブラジル人だが、拓いたのは日本人。日本人が大きな足跡を残しているから、信用がある。だから日本人顔に投票してくれる」と言う▼ノロエステ線地域は全伯で最も日系市長が集中した地区で、現在なんと5市長が日系人だ。だが残念なことに10月の統一地方選挙の結果、来年から2人に激減してしまった。でも、それだからこそ、日系人の存在感をノロエステ沿線住民に再認識させる重要な機会が、2年後の移民110周年だ。ノロエステが皇室をお招きすることに一致団結して立ち上がれば、それが地域活性化の起爆剤になるに違いない。(深)