私は、この家にやって来て、とうとう一郎と別れたことを告げた。その時私は、サンパウロにある料亭「花園」というところで、働こうと思っていることを、父母に打ち明けた。
わけを聞いた父は、子どもたちを集めて、家族会議を開いた。
「尚子は、料亭で働くと言っている。二人の子供を養うにはオレは賛成である。皆はどう思うか」
「お姉さんが、そうしたいなら僕たちはいいよ」
全員の許しが出た。というより、皆、どうして良いか、分からないようだ。この日も父の発言に力があった。
「子供は、置いていきなはい」
と母が言ってくれた。心からありがたかった。
「花園」は、トレーゼ・デ・マイオ通りにある。広い敷地の中に、二階建ての家と、別棟の平屋が二軒で全部である。表通りに面した二階建てを料亭にして、裏の一軒は住み込みの使用人、もう一軒にマダムが住んでいる。私は、この堂々とした表玄関に入って行った。パラグアイで知り合っていた女性、ひろみちゃんに話をつけて貰っていた。ひろみちゃんもこの料亭では古株で、それとなく貫禄を備えている。着物姿のマダムが出てきた。
小柄で賢そうな人である。私へ優しく二、三質問をして、簡単に受け入れてくれた。質問の一つに「年はいくつですか」と云われた時、慌てて頭の中で計算をした。今まで年のことも忘れて、働き続けていたのだな、と思うと同時に、私は「違う世界にやって来た」という実感が湧いた。
そうだ、私は三十一歳なのだ。日本を出てこれまでの十二年間、スペイン語もポルトガル語も関係のない環境で、息つく間もなく走り続けて来た。
この大サンパウロの中で、学歴もない、言葉も喋れない、そんな私に何が出来る。おまけに、二人の子供を抱えて…… その仕事は、料亭しか思いつかなかった。明日から又、私はどんな道を歩くのか、想像もつかない。
私は「花園」の裏の部屋、一室をあてがわれた。家賃も払わず、ここで寝起きしてもよいという。他にも二人の女が、並びの部屋に入っている。彼女たちは、着物の着こなしが何と垢抜けていることか! 同時に、その立居振舞いは様になっていて、見惚れるほど。私も着物をあてがわれて着て見ると、枯れ木も山の賑わい程度にはなった。身につけたこともない着物は、古株の姐さんが着付けを手伝ってくれた。
部屋は階上が四部屋、階下は二部屋とカウンターのあるサロンになっている。仕事は簡単であった。主に、階上にある大部屋が、よく使われている。この二階へ、ボーイが身軽に、料理を運んでくると、これをそれぞれ女たちが、各テーブルへ並べて整えて行く。客が座敷に上がって来たら、私たちは給仕をするだけである。
大部屋には、二十名前後の客が入ってくる。ここが一番多く利用されている。客たちは、取引を含んだ真面目な席が、殆どである。主に、商社、政治家、大会社の面々である。女たちは、客席の横でも後ろでもない辺りに、点々と座る。
そして控えめに気を配る。たまに、芸の秀でた女が、踊りを披露したりする。他には、大した用はない。といって一見、穏やかに時間が過ぎていっているようで、結構、気むずかしい空気が隠れていることも多い。
私は「こんな楽な仕事で給料が貰えるなんて、嘘のようだ」などと思いながら座っている。