10月3日朝、一行の中には、吐き気や腹痛などの食中毒らしき症状が20人ほど出たが原因は不明。大事に至ることはなくなんとかバスに乗り込み、最終目的地のジュレマ温泉に向かった。
ホテルの朝食時、たまたま女性だけのテーブルに座ったら、みな未亡人だった。岡谷公子(おかたに・きみこ、64、山形県)=カブレウーヴァ市在住=は1974年渡伯、小南みよ子(元海外移住婦人ホーム主宰、元国際女子研修センター理事長)が送りだした「花嫁移民」だ。
「小南先生はブラジルに来るとき、いつも着物で、スタスタと歩いている姿が印象的だった。つつましい生活を信条とする方で、キャベツの芯まで食べるような人だった」と思い出す。
「最初の10年はインダイアツーバで夫とキャベツ作り。97年に夫が亡くなって、ピエダーデで10年、日本語を教えていた。それから10年間は日本で介護などの仕事。二世が実習の報告書を書くのに苦労していたから手伝ったりしたわ。自分がブラジルで言葉に苦労したから、日本では二世の気持ちが分かった。日本では九州から北海道までよく旅行したわよ。2013年にこっち帰って来て、ようやく故郷巡りに参加できるようになったの」とのこと。
多田恵子さん(63、埼玉県)も花嫁移民、ヴァーリーニョス市に住んでいる。当地には300人以上来ており、桔梗会を作っている。「小南先生は50%以上の確率で、的確に相手を探してくれた」。故郷巡りに関しては「いろんな人と知り合いに慣れて良かった」と喜んだ。
江藤キヌヱさん=サントアンドレ在住=は福岡県嘉麻市出身、21歳で渡伯した。「旧姓は『ゆずりは』。皆に尋ねるけど誰も漢字が書けない。『楪』よ。なんでも先祖がイノシシを射止めた功績に、黒田藩の殿様から苗字をもらったそう」。
江藤さんはウジミナス初期の話を始めた。「ウジミナスの建設が始まる前からイパチンガに7年間、住んでいたわ。日本からの派遣者のために野菜作りをするために3家族入ったの。子供3人がそこで生まれた。あの頃、ユーカリ林と赤土の泥んこ道ばかり。セントロに入る手前のユーカリ林に、ライ病患者がたくさんいた。露地で豚を殺して売っていたのよ。今じゃ、凄い立派な町になったけど」。
サントアンドレ市に来てから文房具屋を、10年前までの25年間も営んだ。「あたしはソロバン2級。お客さんの買い物の計算もソロバンでやるの。そうすると、初めて来た客はみんな『計算用紙をもって帰っていいか?』て聞くの。『いいわよ』って。自宅で計算し直すんでしょ。でも2度目からは安心して言わなくなるの」と笑う。
青森県人会の玉城道子会長も「あたしは移住してから、ずっとサンパウロ市だから田舎を知らないの。こうやって回るとすごく勉強になるの。ああ、これが移民の生活だって」。そういって4人で談笑が盛り上がった。「ビウーバ(未亡人)だから参加できるのよ」と口を揃えた。
故郷巡りでは、行く先々で興味深い体験をもった人物に出会うが、それに負けないぐらい多彩な人が参加している。一行は4日をジュレマ温泉でゆっくりし、5日にサンパウロ市までバスで移動し、夜10時ぐらいにリベルダーデ広場で無事に解散した。(終わり、深沢正雪記者)