「円苔」の客層も決まり、すっかり経営は軌道に乗っていた。しかし洋介は遠慮して、店に来たのは二度くらいであった。それでも彼はクリチーバからやって来るたび、私の報告を楽しんでくれているのが分かる。洋介のほうも、私にいろんな話を聞かせているが、内容が少しづつ変わって来ていた。例えば、
「オレがファゼンダ三十周年記念のフェスタをした時にはな、大会社の面々や、有名人が祝いに集まってきたぞ。その時、オレは挨拶の言葉の中に、お世話になった人の名前を一人も上げなかった…… 『一人もいなかったんだ』オレを助けてくれた人がなあ……」
闊達な話をして行く彼にしては、この話はところどころで詰まり、複雑な目を遠くに向けていた……ここまで来るのに、洋介はたった独りで歩いて来たのだ…… 厳しい男の世界を、垣間見た。
洋 介 と の 別 れ
「花園」時代の仲間、A子が私のアパートへ訪ねてきた。服装は相変わらず、派手なものを身につけていた。六年振りの再会で、A子もそれなりに貫禄のようなものが、少し加わったようだ。懐かしい。あのクルクルした可愛い目が改まっている。A子は、意を決したように、私へ話し始めた。
「尚ちゃん、私ね最近、杉さんに口説かれているの、店を出してやるって……あんたしっかりしないとだめよ!」
「……」
「私はね、今日それを言いに来たのよ。何よ! この室の家具類……ひどいもんだわ、たんすも何も酷いわ。一世紀も前の品物みたいじゃない、せめて家具ぐらい新しくしてもらいなさい!」
と言って、彼女は帰って行った。
洋介には、そんな軽いところがあったのか……六年も前になる。洋介と深い仲になって一年もした頃、愕然としたことがあった。それはクリチーバに彼の奥さんがいるというのだ。その上にまだ、日本にも本妻がいて、大事にしているとのこと。クリチーバの奥さんは現地妻ということになる。それならいったい、私は何なのか……このわだかまりが消えたわけではなかった。それにしても、A子は変わった女ではある。こんな大変な事を、私に打ち明けに来るとは……(この恩は、しっかりと私の胸にしまった)。
後に知ったが、この頃A子は、ある大学教授と付き合っていたのだ。急に、私の中の宝物が、色褪せて行った。そして、その宝が跡形もなく消え去ってしまうのに、時間はかからなかったー 洋介とは、一度も喧嘩したこともなく、あっという間の七年間であった。
私は彼に静かに言った。
「A子から話をくわしく聞きました。別れさせて下さい」
私の決意が固いのを読みとった洋介は、驚いたが受け入れた。ただこう言った。
「お前はな、ちょっとしたことで、こうと思ったら、もう戻らん……これからも気いつけろよ」
まるで兄が妹へ諭すように忠告して、
「うおーっ」と彼は泣いた。
私はまた、一人になった。これからは、仕事一筋にがんばって行こう。この「円苔」も、毎月上等過ぎる収入がある。しかし店が軌道に乗って、毎月安定した収入で落ちついてみると、面白味がない。ごたごたした身辺の整理が終わると、昔と違っている。
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