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「ノーノー・ボーイ」新訳を終えて=戦争で心を引き裂かれた移民文学=ジャーナリスト 川井龍介

「ノーノー・ボーイ」(旬報社、2500円+税、2016年)

「ノーノー・ボーイ」(旬報社、2500円+税、2016年)

 日本軍がハワイのパールハーバーを奇襲してから丸75年。その瞬間から日本の日本人だけでなく、海外にいる日本人・日系人の運命も大きく変わる。アメリカの日系人作家ジョン・オカダが唯一残した「ノーノー・ボーイ」は、この運命に身をよじられる思いで戦後を迎えた二世の主人公イチロー・ヤマダの苦悩する魂の叫びをつづった小説である。
 日系アメリカ人による初めての本格的な長編小説として高い評価を得て、1976年の復刊以来アメリカで読み継がれ累計で15万部が出版された。「復刊以来」と書いたのは訳がある。この小説は1957年に出版されるが、当時はほとんど評価されなかった。
 小説の主人公イチローは、戦時中に徴兵を拒否し逮捕され刑務所に入る。物語は、終戦後刑務所から出てきたイチローが、戦地に行った同じ二世や、日本の勝利を信じて疑わない母親との確執などを描いている。
 母親は、イチローが戦争に行ったら自分は死ぬというほど、狂信的に日本を愛し、戦後も日本の敗北を認めない。その根拠の一つとして、日本の勝利を信じるサンパウロの同胞からの手紙を大事にとっている。そこには、日本政府が海外在住の日本人を帰還させる船を派遣する準備をしているとある。
 アメリカの日系二世は多くが戦地に赴き勇敢に戦った一方で多大な犠牲も払ったという戦争の記憶がまだ生々しかったころ、この小説のテーマはまだ日系社会にもアメリカ人にも受け入れられなかったようだ。
 しかし、1970年代に公民権運動が高まりマイノリティーの自覚も深まってきたなかでアジア系アメリカ人の若者がこの本をたまたま“発見”し、「これこそがおれたちの文学だ、アメリカの文学は白人だけのものではない」と、感動しボランティアで本を復刊させる。
 これが広まり、その後は小説の舞台であるシアトルにあるワシントン大学出版部が引き継いで出版してきた。残念ながら、この復刊の数年前にジョン・オカダは心臓発作のため急死した。彼は自分の作品が世に評価されることを知ることなく世を去った。
 日本では、原作を読んで感動した中山容氏(片桐ユズル氏とボブ・ディラン全詩集などの訳がある)の訳で1979年に晶文社より出版され、いくつか版を重ねたが残念ながら絶版となった。私は、20年ほど前にたまたまこの本を古本屋で見つけて読み、主人公が「おれは何者で、どう生きたらいいのか」というアイデンティティを問う姿勢に共感し、以来作者と作品についてノンフィクションの題材として取材してきた。
 しかし、日本語でもはや一般に読めないのでは意味がないと思い、直接版元や著者の遺族らと交渉し、日本の出版社に話を持ち掛けた。翻訳にあたってはアメリカ、日本でこの本と作家に詳しい専門家や翻訳家の力を借りながらようやく完成することができた。
 いま、アメリカではトランプ氏が大統領になることが決まり、そのブレーンからかつての日系人の収容政策にならってイスラム教徒の移民登録をするといった案まで飛び出し、多くの反発を買っている。大多数と違う他者に対して不寛容な風潮が国際的にも国内的にも危惧されるなか、アメリカと日本に心を引き裂かれるイチローの苦悩は、今日のわれわれの問題としてある。 
 

【著者】ジョン・オカダ(John Okada)
 広島県にルーツを持つ日系アメリカ人二世。1923年9月23日シアトル生まれ。42年アイダホ州ミニドカの収容所に入る。志願後、陸軍情報機関に所属、太平洋戦線へ。戦後ワシントン大学などで学ぶ。57年に小説「ノーノー・ボーイ」を発表。71年に死亡。

【翻訳者】川井 龍介
 ジャーナリスト、ノンフィクション・ライター。1956年神奈川県生まれ。慶応大学法学部卒業。毎日新聞記者などを経て独立。フロリダ州にあった日本人村の秘史を追った『大和コロニー~フロリダに「日本」を残した男たち』(旬報社)などの著書がある。