わたしは日本に生まれ育ち、恵まれている環境の中にいながらも、物足りなさを感じていた。
23歳の時、カンボジアの孤児院へ赴く機会があり、そこでのこどもたちとの出会いによって、貧しさの中に輝く笑顔から本当の豊かさとは何かを考えさせられた。
それから4年後、「日本は豊かな国なのか? 良さは何か?」という答えを探しに、福祉施設での勤務経験を強みに、日系社会青年ボランティアへ応募し、今年の7月から2年間、サンパウロ日伯援護協会(援協)へ配属されることとなった。
援協には、1986年から30人弱の日系社会ボランティアが派遣され、現在私を含め7人のボランティアが活動している。私の活動内容は、本部栄養士の松永フラビアさんと共に、サントス厚生ホーム・さくらホーム・イペランジアホームのご入居者様に対し、食事を通してより良い空間を作ることである。
活動が始まり3か月が経ち、日系社会に存在する福祉施設を肌で感じている。一世、二世の方だけでなく、非日系の方もご入居されている中で、様々な背景をもったご入居者様に対し、どの施設も日本米とブラジル米を提供していることに驚いた。サントス厚生ホームでは毎食お粥も提供しており、イペランジアホームでは毎日施設内で採れた新鮮な野菜を使った味噌汁が提供されている。
またさくらホームでは、月1回食事のイベントを企画していて、今回は巻き寿司づくりを行った。みなさん手慣れた様子で作られていたことが印象深かった。
このように、入居者の方に寄り添いながら食事を提供している点は、ブラジルも日本も同じであると実感できた。
職員はポルトガル語を母語として話す人が大半を占めているが、施設内の至る所で日本を感じることができ、現地職員と歴代ボランティアの活動成果であると感じている。
一方、日本では考えられない事もあった。まず肉と鍋である。日本では最初から薄切りになった肉を使用するが、こちらの調理場には必ず圧力鍋があり、塊で納品された肉を軟らかくしていること。また、筍は醤油煮や混ぜご飯として食べることが常であったが、オレガノと酢を使いサラダにすること。オレンジの皮は白い部分を残して切り、果汁を吸うようにして食べ、皮を?ぐ専用の機械もあることなど、驚きの連続であった。
日本人移住から100年以上が経ち、大きな転換期を迎えている日系社会の土台を築きあげた入居者の方々や現地の方と交流し、多くを学ぶ2年間にしたい。
村上量子(むらかみ・りょうこ)
【略歴】滋賀県出身。28歳。日系社会青年ボランティア。サンパウロ日伯援護協会に栄養士として今年6月に派遣された。任期は2018年6月まで。