無口な友行には、こんな仕事は向かないのでは? と思うのだが、そこそこに契約を採って来ている。一度付いて行って、彼の仕事振りを眺めていたが、 かえってあの無口と誠実さで、話している声は理論的で優しく説明をしている。それが受けているのだと思えた。私には、こんな難しいことは無理だし、何の手伝いも出来ない。
そこで、ある大きな会社(反物を売る)に入った。何の試験も受けずに、簡単に入れたところを見ると、この会社も甘くはなさそうである。ここの女社長は五十代、彼女一代でここまでにしたとのこと。
ただ反物を売るだけの会社なのだが、その販売の方法に感心した! その戦略とはー田舎を回って、反物を展示させてもらえる農家を訪ねるのだ。その場所さえ貸して貰えたら、あとは近所の人々へ私たちが、声をかけて回るのである。○○宅で反物を展示しています。見に来て下さい」と、日時を知らせて廻る。
特定の店に入って行って、品を見るのと違い、農家の主婦たちは、普段着のままで三々五々、集まってきて、気に入った品があれば買って行くという、やり方である。又、場所を提供してくれた農家には、上等そうなハンドバックとか帯を、お礼にしている。場所さえ取れれば、今度はベテランの販売係の役割となる。私は社長のすばらしい発想には感心するばかりであった……
月給は十万円だが、何やかや経費を引かれると、手取りは九万あるかなしであった。私は、この場所確保の仕事は簡単に考えていた。具体的には、一日中若い男性が車を運転して、農家を廻るのだ。その一台の車に、私たちは二人ずつ乗ることになる。
段々様子が分かってきた。成績の良い人で、月に五、六ヵ所確保、特に悪い人で一ヶ所からゼロの者もいる。運転する男は、会社からの指示で、私たちが怠けないように監督も兼ねているらしい。彼は一日中車を走らせて、深刻な表情をしている。私も各農家を回って、一週間でやっと一件とることが出来た。
こんなある日のこと、私はふっ!と「円苔」の客を思い出していた……あの客は、陽によく焼けた中年の男であった。太目の声が、けっこう明るく面白い。周りの人に話しかけながら、酒を口に運んでいた。私も耳を傾けながら、他の客の接待もしていた。その客のせいで、みな楽しんでいたが、一時間くらいすると、
「お勘定してください」
と男は言った。私が計算し始めると、
「私は、酒の注文をとって廻ってるんです」という。完全に周りの者を味方につけたところで、ついでのように控えめに切り出したのだ……
「えっ!」と思った。この男は、今までムダ話で時間を使い、高い酒を呑んでいる。私がもし、そっぽを向いたら終り―最後のその僅かな時間で、勝負を始めている……それほど裕福そうでもなさそうな、この男が。
「いりません!」と、その注文を彼へ突き放すには、気の毒だなと思えるほど、私は彼に胸を開いていたのだ。
男は席を立ちかけるまで、酒の注文のことを、一言も口にしていない。それは美しいほど、最後の瞬間を狙った捨て身な戦法である。結局、新種のウイスキー六本を注文してしまった。ベテランのこの男の仕事ぶりはある意味、心を打たれたのを思い出していた……ということで、私は先ず農家へ訪問したら、なるべく用件をすぐに言わないようにした。たとえ一分間でも、違う話を出すように心がけてみた。