女中は、じゅん(卓二の息子)の学校行きの支度をすることが条件で、三月二十五日に雇ったもの。初めのうちは、九時半頃までに来て、一応間に合う女中であったが、日が経つにつれ、だんだん遅く来るようになり、最近半月程は、十二時頃、のこのこやって来る。
それでは、じゅんの学校に間に合わないので、私が昼飯を作って間に合うようにした。女中は十二時頃来てから、私の作った飯を食い、お菜は自分の好きに作って食べる。それから子供(二歳位の自分の子)を寝かせて、仕事にかかるという段取りだったが、甚だしいときは、自分も子供と一緒に昼寝するということもあった。
それでも私は、卓二には一言も言わなかった。ところが逆に女中の方から、卓二に告げ口したらしい。じいさんが、私の仕事を取り上げてしまったとか何とか―
それが卓二としては、私がイビリをやっていると写ったのだろう(五月二十七日)から女中は来なくなった)。
「今日から、新しい女中が住み込みで来るから、今度はイビリ出すようなことはしないでくれ」
と卓二が言ったから、私は女中をイビッた憶えはない。ただ十二時頃来たのでは、じゅんの学校の間に合わないから、間に合うよう私が準備していたと、主張したけれど、もともと私の言い分など利く気はなかったとしか、思えない、悪口雑言を吐いた。何かのキッカケさえあれば「このオヤジ、早く追い出してやろう」というような気構えが、以前から見えていたから、私としてもこの際、身を引くのが妥当と考えて行動した。
卓二は、大分以前から心霊学のようなものに入り、霊界でも、モロモロの階級があって、タツヨ(亡くなった母)は割合恵まれた階級にいるそうな。先日はその教会で、タツヨの霊と話をしたという。
『お母さんは、今でもお父さんを憎んでいる』そうな。それについては、私なりの言い分はあるし、タツヨが私を憎んでいることが事実であっても、それはそれだけの夫でしかなかった私は不服とは思わない。
だからといって、子が、母と共に私を憎むということは納得できない。いかに家庭のために、良くない親であったとしても、親は親、まるでタツヨの死が私に由来するような言動は許せない。
女中の機嫌をとってまで、この家に居るより、私がこの家を出た方が良いと言ったら、
「早く出て行け、あんたが出なければ、おれが出る。お母さんを早死にさせるようなことをしておいて、町枝(私の妹)が何と云ってるか知ってるか、早く死ね!」
好機到来とばかりに、まくし立てられた。以前(タツヨの死亡後)は、お父さんも修業して、霊界に入ってから、良い階級に居られるよう、今から勉強しなさいなどと、恰も行いすました高僧か何かのようなことを言っていた。
私はフンフンと当たらずさわらずに聞いていた。その卓二から、良く修業の出来たお方から、出て行けの死ねのという言葉を聞こうとは思わなかった。
一九八三年二月十九日には、町枝からも親の在り方についての、抗議文を受け取った。この時は、私は私なりの所信をじゅんじゅんと書いて、返事した。その後、町枝が家に来て、一部まだ分からないことがあるけれど、これで積年のウラミツラミを忘れ、普通の親子関係に戻りましょうとの申し出があった。その町枝にしても、卓二にしても、私一人が常に家庭を乱し、和を損ねた悪人のように思いこんでいるのだろう。町枝の抗議文は、今でも保管してあるから、いつの日かお前にも見せる日があるだろう。