父は母屋で寝起きしている。あと二匹の犬がいる。一匹はシェパード、もう一匹は人間を四つんばいにしたより大きな、茶色の優しい犬である。一応これで、犬も入れて家族が揃い、この家の生活がスタートした。私は、殺風景な室のたんすの壁に、カレンダーを下げた。そして一日が終わると、その数字の上にX印をつけていった。このX印が四十個並んだら、父は亡くなる!
この時の私にとり、たった一つの希望である。当然、そうなると思うようになっていた。
何の娯楽もないこの田舎で、父は私を相手に碁を打ちたがるようになっていた、父の方が少し強い。私もこの何の変哲もない環境で、碁はまあまあ気が紛れていた。父と対局していたある日のこと、私は一手盤面に石を置いた。それに対して父が、もしこう打った場合は、私は次はどうしたらよいのか……考えていた。その時である。
「もういい! 待たんなら!」
と、どなる父の声で、はっ!と我に返った。どうやら、
「待て!」と言ったらしい。次の一手に集中していたので、父の声が聞こえなかったのだ。
「えっ! あっ! はい聞こえんやったもんで……」「…………」
「ごめんね」と云って、最後に打った石を取ろうとした。その私へ、
「いや、オレも悪かった」
と言って、私に謝った。このオヤジ、大分変わったなと思った。
さて犬の話を少ししたい。
母屋の壁(その裏側は丁度、父の寝室である)に張り付くようにして、ジュリー(黒い犬)の小屋はある。敏感なジュリーは、何かというとよく吠えた。その甲高い声に、昼寝していた父は出て来た。そして小屋の屋根の上に用意してある、鉄棒を掴むと、ジュリー目がけて振り上げる。ジュリーは小屋に逃げ込むが、その鉄棒を突っ込んで、犬を突きまくる。
「ギャオー! ギャオー!」
という恐ろしい声が庭いっぱいに広がる、もう犬にしか当たるところがなく、父の憂さ晴らしなのだろうか―
これを見て、昔の父を思い出した。私が少女の頃、父が知人からシェパードを貰ってきた。この犬もやはり背中は黒く腹はうす茶色の、まだいくぶん幼さの残った、跳ね返るような若さである。
この犬に、父がさっそく鎖を取り付けようとしたところ、逃げ回る。力づくで引き寄せたところ「ウーッ!」と、犬が父へ向かっていった。父は、すぐに犬の首にかかった鎖を引き上げ、蹴り上げた。
「キャイン! キャイン!」
と鳴いたその犬に、手を出して鎖を持っている父、再び犬が「ウーッ!」という。犬にも人間と同じで野性に近い、なつきにくい犬もいる。父には、それが通用しない。何度も犬が「ウーッ!」と吠えるたび、鎖を握り、腹を目がけて、壮絶な蹴りを入れた。まもなく犬は死んだ。これを父は家の中にある、風呂場に持っていって、犬の皮を剥がし、ただの肉にして、隣のおじさんとスキヤキ鍋にして食べた。
「犬の肉は、泡が出るが旨い。茶色のが、もっと旨いらしいぞ……」
と声を低めて、鍋を突っついていた。この鍋は、その後、炊事場の片隅に立てかけてあった。うす暗い中で、不気味な光り方をしていた。