ホーム | 文芸 | 連載小説 | 道のない道=村上尚子 | 道のない道=村上尚子=(75)

道のない道=村上尚子=(75)

 私はそのとき、何か一瞬にして肩から覆い被さったものが取れた。父は、空の便器を引き寄せ、その中へ手を入れては、何かをつまみ出して、口に入れている……父の頭では、何か食べ物が入っているらしい。これを見て、私はいいことを思いついた。
「お父さん! ぼたもちばい!」
 と、さも牡丹餅が私のてのひらに乗っているそぶりをして、父の前に差し出した。
(お父さん、頼む! 牡丹餅だと思って、腹いっぱい食べておくれ……)
 この時、父は大人しく、私の手のひらを見ながら、人差し指を立てて、左右に振った。「なんにもない」と言っている…… 辛かった…… それでも、まだ私は院内の食事は取っていなかった。見舞い客たちからの、食べ物の差し入れは助かった。が、ある日、あまりのひもじさに、病院を出るとすぐあるバールへ入った。簡単なものを食べて、小走りに戻ってくると、大変なことになっている……父は詰まった痰のために、息が出来ないでいる! 目は赤く大きく見開いて、その目に涙が溢れている。私は父に飛びかかり、例の痰のための器具を取り付け、父の痰を抜いた。
 スーッと父の顔のむくみが引いて、赤味がかったような、どす黒いような顔色がもとに戻った。たった十三分間くらい、外に出ただけで起きた出来事である。もうどこへも出ることも出来ない。父から少しも離れられないと悟った。
 話が前後するが、実は看護婦たち皆が、父を嫌っているのだ。入院初めのころ、一人の看護婦がやってきて、父の手術後の手当てを始めたところ、父の機嫌が悪く、彼女を引っ叩いたのだ。その看護婦は、他の部署へ移っていって、二度と現れなくなった。私も手術後には叩かれたが、まして他人である。その上、女性に手を上げるのは、この国は許してくれない。なので、他の者たちも、父を気遣うどころか、逆に知らんふりをしているのだ。私が一人で、父の痰をとり続けた。
 父の機嫌が悪く、手がつけられない時は、室の入り口のところに身を隠した。今思えば、わがままな父ではあるが、何より気が狂うほど痛んだのだろう……

     父 の 旅 立 ち

 ある日、例の看護婦長が、私に耳打ちした。
「貴女のパパイは、そのうちチンタ(インク)のような臭いがしてくる。そうなると終りで、医者が家へ帰すよ」といった。私は早くそうなって欲しい、もう自分の体がおかしいと思った。そしてそのことを待ち望んだ。
 とうとうそのチンタの臭いが父からしてきた。しかし不思議、嬉しくない……医師は帰宅を命じたので、とりあえず妹宅へ父を運んだ。その三日後、彼女宅の二階で、少しの間雑談を交わし、降りてくると、父は息を引き取っていたー
『楽になったね……お父さん……』

 父の葬儀も終り、彼と暮らしていたタボン・ダ・セーラに帰ってくると、一週間くらい私の回りを強烈なチンタの臭いが付きまとった。一応回りが落ち着いた頃、急に口内の歯が痛む。デンチスタ(歯医者)へ行くと、
「ひどい栄養失調で、こうなりました。ひょっとしたら、この歯は全部抜かなければなりません」
とのこと。しかし、ぎりぎりのところで、一本も抜かずに済んだ。食べなかったわりには太っていると思っていたら、栄養失調による浮腫(むくみ)であった。