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海岸山脈はどうやって生まれたのか

地殻を構成するプレート群(By USGS, Washiucho [Public domain], via Wikimedia Commons)

地殻を構成するプレート群(By USGS, Washiucho [Public domain], via Wikimedia Commons)

サンパウロ州サンセバスチャン市沖からみた海岸山脈。海岸部からすぐのところで海岸山脈がせり上がる地形が、延々と1千キロ以上も続く

サンパウロ州サンセバスチャン市沖からみた海岸山脈。海岸部からすぐのところで海岸山脈がせり上がる地形が、延々と1千キロ以上も続く

 「どうやって海岸山脈(Serra-do-mar)ができたのか?」という質問を、今まで何十人にぶつけてきたが、納得できる答えは聞けなかった。あちこち取材旅行する中で、あの雄大な地形は最大の謎だった▼有名なポン・デ・アスカルなどのリオ市の絶景、クリチーバからパラナグアまで下る山岳鉄道の景色、特に印象的なのはサンタカタリーナ州の長大な絶壁のような景観だ。モジ市から良く見えるマンチケイラ山系もそう。かつてレジストロからピエダーデに抜ける山道も移民は歩いて超えた。海岸山脈は移民史の一部といえる▼北はエスピリットサント州から、南はサンタカタリーナ州までの大西洋沿いの海岸部に、屏風のように1千キロ以上に渡って連なっており、山脈の上は一気に高原地形になる。この海岸山脈があるから、かつて霧深い「大西洋森林」が広がり、原生蘭の宝庫と呼ばれる大自然があった▼今回、リベルダーデ歩こう友の会でサントス旧街道下りのガイドをしたジョズワルド・マルケスさん(45)からは、「海岸山脈ができたのは、大西洋の中央部で左右に分かれた南米プレートが、西方向に押された歪みだよ」との回答をもらい、目からウロコが落ちた。理屈が分かれば調べるのは簡単だ▼地球の内部はドロドロのマグマだが、表面は十数枚のプレート(岩盤層、プラッカ)に分かれている。内部のマグマの動きに引っ張られて、表面の岩盤層も少しずつ動く。だから岩盤層にのっかった大陸も移動していく。南米大陸は大昔「ゴンドワナ大陸」の一部だったが、2億年ほど前から分裂をはじめ、南米、アフリカ、南極、インド、オーストラリアの各プレートが離れていった▼南米プレートの上に乗っているのが南米大陸であり、それがアフリカ大陸と分かれたために、大西洋が生まれた。南米プレートはどんどん西方向に移動して、ペルーからチリの沖からイースター島のあたりまで広がる南太平洋の「ナスカ・プレート」にぶつかった▼そんな南米プレートが西方向に押される力で、南米大陸の東海岸が鈍く盛り上がって海岸山脈とその奥の高原という地形が作られた▼南米プレートがナスカ・プレートにぶつかって、その上に乗っかるような形になったので、西海岸沿いにはアンデス山脈が鋭く盛り上がった。上に乗っかられたナスカ・プレートが地殻に沈み込んでいる場所が、「ペルー・チリ海溝」だ。沈み込んでいる歪みが解放されると、地震になるため、南米大陸の西海岸では地震が頻発する▼つまり、アンデス山脈と海岸山脈は、南米大陸の両側として相関関係があるようだ。プレートの動きにより、現在でも「30万年に25メートル」の割合で海岸山脈は持ち上げられているという。この海岸山脈が作られる活動が始まったのは、なんと6億年前というから、ゴンドワナ大陸分裂前からだ。移民史の舞台でもある海岸山脈は、壮大な地球物語につながっている▼ちなみにナスカ・プレートの先には「太平洋プレート」があり、これは日本のすぐ近くまで広がっている。東南アジアや日本での火山活動や地震が盛んになると、同調するように南米大陸西海岸でも活発化しているように見えることがあるが、太平洋プレートの揺れがナスカ・プレートを通して伝わっているからか。このレベルで考えると意外に日本とは〃ご近所〃な感じがする▼さらにジョズワルドさんから「アンデス山脈が出来る前、アマゾン河は太平洋側に流れていた」と言われ、驚いた。このような視点は虚を突かれる▼こちらから「じゃあ、チエテ川も昔はサントスに流れていたのかな?」と尋ねると「そうかもね」と笑った。サンパウロ市内を流れるチエテ川は海岸山脈から始まるが、源流から大西洋までの直線距離は22キロしかない。でもサンパウロ州をグルリと回るように1千キロ以上も迂回して農家を潤し、パラナ川に注ぎ込んで、亜国が誇る南米第2の大河ラプラタに合流して大西洋に流れ出る。源流から海まで実に5600キロも旅をする▼チエテ川ほど壮大な遠回りをする川は珍しいのではないか。あと数キロ南側に源流があれば、南米大陸をわざわざ一周する必要はなかった。きっと我々の人生にも、そんな「分水嶺」のような瞬間があるのだろう。(深)