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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第17回=受け入れてくれた地元に感謝

山下さんは前列左から3人目

山下さんは前列左から3人目

 皆様、初めまして。現在マット・グロッソ州カセレス市で野球指導ボランティアとして活動しています山下裕太郎です。
 日系ボランティア30周年記念という節目に立ち会うことができ、大変光栄に思います。日本から派遣されるボランティアにとっても、また現地で活動されている多くの人々にとっても、この「30年」は数字以上に充実した年月だったのではないでしょうか。
 私は大学で、法律学、国際政治、国際協力を学び、今年の3月に大学を卒業しました。大学在学中に、私の人生を大きく変える出来事がありました。その出来事とは、途上国への海外旅行でした。良くも悪くも、生まれ育った日本にはない、途上国の雰囲気や貧富の差、人間性を目の当たりにしたことです。
 大学卒業後は、自ら現地に行き、国際協力をしたいと強く感じ、JICAボランティアに応募しました。なぜ、日系社会ボランティアに応募したかと言いますと、私は教員免許や特別な資格を持っていなかったため、私ができるボランティア(仕事)は、小学校からこれまでやってきた野球しかなかったのです。
 ブラジルに来て4カ月が経過しましたが、ブラジルといえば、サッカー、カーニバル、コパカバーナ、アマゾン、キリスト像というイメージが強く、これら以外の全てが新鮮で、「今日はどんなことが起こるのかな」と毎日楽しく過ごしています。
 私が所属しているカセレス日伯文化体育協会は、他の地域に比べて会員家族数が少ないです。
 しかし、同協会のナカモト・ヒロヒトさんやカワサキ・タイチさんを中心に、野球の普及を行っています。現在グラウンドはないものの、日系人だけではなく、多くの非日系人も混じっており、8歳?25歳の選手たちが、楽しくひたむきにボールを追いかける毎日です。
 JICAと日本体育大学との連携プロジェクトである同硬式野球部の短期ボランティアの派遣が、同協会の一大イベントとなっており、選手は彼らの訪問を心待ちにしています。
 そのため、礼儀礼節を重んじる野球への憧れがあり、最近の練習では、「ごめん」や「ありがとう」「お願いします」という日本語が飛び交っています。
 この30年の中で、派遣されたボランティアは確固たる情熱を持ち、日本とは異なるブラジルの文化を理解しつつ、柔軟な思考を持って、日系社会や地域社会の活性化に貢献してきました。
 これからも、これらは変わらないでしょう。この背景には、ボランティアが不安に感じた時や、壁に当たった時に、優しく親身になって、ボランティアの真意や考えを理解しようとして下さった、地元の多くの人々のおかげだと思います。

山下 裕太郎(やました・ゆうたろう)

【略歴】京都府出身。25歳。日系社会青年ボランティア(野球指導)としてマット・グロッソ州カセレス市に所在する「カセレス日伯文化体育協会」に2016年6月に赴任、任期は2018年6月まで。