そんなカラガタトゥーバで育ったドロシーさんは、「家庭内では英語だけ。母は父を立てて、一歩後ろに付いているような人だった」と言い、「そのためか、家庭内では日語は話しませんでした。ですが日本料理はよく作ってくれましたよ」と懐かしむ。
英国人コロニアにいながら、日本文化にも触れて育っていったドロシーさんは、勉学に励み、サンパウロ市にある外資系医薬品会社の研究所で働いた。そこで知り合ったのが、現在の夫であるパウロ・アウヴェス・ダ・シウバさん(74)だ。
退職後はアチバイアの閑静な住宅街で、夫婦二人で静かに余生を過ごしている。「子供は欲しかったけど、残念ながら恵まれなかった。養子縁組も考えたけど、反抗されるのを恐れて、結局は取れなかったの」という。
すでに兄と姉も亡くなり、その子孫も笠戸丸移民の子らしく、英仏など世界各地に散らばって活躍しているようだ。
ドロシーさんは、母・芳子さんの写真をじっと見つめ、「母は愛情深く、本当に働き者だった。日本のことを深く思っていた」と振り返り、「母が日本へ初めて訪れたときは、私は結婚したばかりで行けなくて。私にしても、この年ではもう行けそうにないわ…」と寂しげな表情を浮かべた。
だが、老後になってから、学んでみたかったという日語を学ぶため、当地文協の短期講座を受講したり、日系社会での親睦も楽しんだりと、充実した日々を送っているようだ。
二世第1号としてブラジルで産声を上げ、国際結婚という茨の道を歩み、3人の子供を立派に育てあげた両親―。
「本当に多くのことを教えてくれたことに感謝の気持ちでいっぱい。日英伯三カ国をルーツに持つことを誇りに思うわ」と目を細め、大切そうに思い出のアルバムを閉じた。(終わり、大澤航平記者)