アルモニア学生寮建設と同じころ、ブラジル力行会は、4Hクラブ運動にも積極的に参加しました。4Hとは、英語で、腕、頭、心、健康の頭文字を取ったもので、アメリカで4H運動を学んだ永田稠会長が、ブラジルに導入しました。
永田会長は1951年7月からおよそ7ヵ月間、100回にわたって地方巡回公演を行ないました。この4H運動は、ブラジル力行会だけではなく、サンパウロ総領事館、コチア・南伯両産業組合など、日系団体の幅広い賛同と支援を得て、農村青年教育運動が進められました。
ブラジル力行会の会長は、井原恵作、破魔六郎、村上真市郎、森晋平、山内安房の諸氏が続いて、アルモニア学生寮建設と4Hクラブ運動という、ブラジル力行会の大きな事業が一段落するころ、ブラジル力行会も他の日本人会と同じように、会員の減少と老齢化が急激に進みます。
1969年にブラジル力行会の会長に就任した林寿雄氏、続いて永田久氏、そして現在の岡崎祐三氏は、真正面からこの問題に取り組むことになります。
日本の高度経済成長により1960年中ごろから新しい移住者の來伯が見込めなくなって以来、会員子弟の日本への研修生派遣事業を、今後のブラジル力行会の重要な事業と位置ずけることにしました。
最初は、ブラジルの大学で学ぶ会員子弟に学費を補助する奨学生制度。続いて、日本力行会を通じて、日本の企業に技術研修生を派遣する事業。そして現在まで続いている日本力行会の力行幼稚園研修制度と日本語を習得するための南米開拓講習制度です。
1970年から始まった種々の派遣により、ブラジル力行会は日本力行会の支援を得て、今日まで、152人の研修生を日本へ送りました。
2016年8月、リオで南米初のオリンピックが開かれました。開会式には、生命の誕生から現在までのブラジルの歴史が表現されました。演出の進行に伴い、白い布に日の丸が施された衣装をまとった日本人移民が現れて多民族国家のブラジルを表現し、テレビを通じて、世界中が、国内人口の1%にも満たない日系人の存在を知ることとなりました。
中国のメディアまでも「豪華絢爛な演出にブラジルの歴史、文化、社会が盛り込まれた開会式において、非常に明らかな日本のエッセンスが表現された。一世紀におよぶ大量の移民により、現在ブラジルは世界で最も日系人の多い国となっている。ブラジルと日本との関係が深いのは、無知で愚昧な中国の清朝政府が、ブラジルという国を知らなかったからだ」と日伯間の深い繋がりに驚きをみせました。
他の国が羨むほどの、日本人移民がおよそ110年かかって築いた貴重な財産を、今後どのように生かしていくか。試練の節目にある、日伯交流の一端を担うブラジル力行会の研修生派遣事業は、その重要性が増していくようです。(終わり)
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