ホーム | 連載 | 2017年 | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(28)=多羅間耕地からパウマスへ

《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(28)=多羅間耕地からパウマスへ

中村一郎さん

中村一郎さん

 中村会長の父・一郎さん(79、二世)にも、リンスの多羅間耕地の話を聞いた。
 「僕はリンスのタンガラ植民地生まれ。父は徳島県出身。サビノで借地してトマト作りをしていた。チエテ川に近い所は、とても地味が良い。あの周囲で一番いい土地だった。30年ほど前に多羅間耕地を2千コントで買った。あの当時としては結構高かった。僕の前に、3人ぐらいブラジル人が所有していて借金のカタに売りに出ていた。ボクが買ったときはブラジル人がカフェの樹は全部抜いていた。食鶏、バタタ、牛を主にやっていた」と振りかえる。本来の多羅間耕地は400ヘクタールぐらいあったが、中村さんがその半分を所有していたという。
 「プラノ・クルザードの時、バタタ・イングレーザをやっていたんだが、1万4千俵収穫したところで、政府が突然、値段を凍結したんだ。最高の値段の時だったから逆に儲けさせてもらった。運が良かった」とニヤリ。
 「今はあの辺、エタノール用のカンナ畑が増えて地価がすごく上がって、アルケール(2・4ヘクタール)4万コント(レアル)になった。ところが、トカンチンスじゃあ、アルケロン(4・8ヘクタール)で数百レアルだろ。それでリンスは全部売って、こっちに来たんだ」
 一郎さんは「リンスは3、4月、けっこう冷えるんだ。4年前にここへ来たが、寒くならないので年寄りに向いた気候だね」と語り、満足そうに笑みを浮かべた。
 故郷巡り一行は現地の人たちと交流し、最後に「ふるさと」を合唱してホテルに戻った。
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松島節子さん、巧さん

松島節子さん、巧さん

 3月21日(火)朝、ホテルで朝食をとりながら、松島巧さん(85、岡山県)は「中村ネルソンさんの話を聞いて、感動したね。若い人たちに勢いはものすごい」としきりに感心していた。
 一見して、85歳には全然見えない。姿勢がよく、筋肉隆々なので、「何か運動をしているのですか?」と尋ねると、陸上世界マスターズ大会のメダル保持者だった。
 「5年前、全日本マスターズ大会で3種目にでたら、3種目とも大会記録を出した。やり投げ、砲丸投げ、円盤投げ。しかも20数年来破られていない記録だった。でも、ブラジル代表として国際大会に出た経験があるから、『日本記録』には認めてくれませんでした。あくまで『大会記録』でした」と笑う。
 3歳で家族と共にペレイラ・バレット(チエテ移住地)に入植し、養鶏をやっていた。サンパウロ市近郊で野菜作りをしていた従兄弟から「自分たちの代わりにやらないか」と誘われ、出聖した。「ペレイラから全伯陸上大会にも3回出ましたよ。その頃から45年間、ヤリ投げ一本です」。サンパウロ市では原源蔵さん、渡辺タケシさんらと共にイビラプエラ陸上マスターズ会の創立者の一人だという。
 妻・節子さん(79、鹿児島県)も「私も夫と一緒に20数年、毎日歩いてますよ。私は幅飛び、コロニア大会だけですけど」と謙遜した。
 巧さんに良い記録を出すコツを聞くと、「筋トレをやると筋力の弾性がなくなって、ヤリが飛ばなくなるんです。むしろ、身体を柔らかくするストレッチを心掛けている。その方が成績がいいんですよ」とのこと。「来年のマスターズ世界大会では、ズバリ世界記録を狙いたい」とひと言。
 故郷巡り参加者は、まったくあなどれない。(つづく、深沢正雪記者)


□関連コラム□大耳小耳

 中村一郎さんと話していて、日本の有名作家・三島由紀夫が終戦直後の1952年に多羅間耕地を訪れ、そこで見たアリ塚をテーマに戯曲『白蟻の巣』を書いたのを思い出した。三島にとり初の長編戯曲であり、これが成功したことで「劇作家としての地歩が築かれた」といわれる作品だ。中村さんに聞いてみると、「僕が買った時にはもうアリ塚はなかったね。以前の持ち主が壊したんだろう」とのこと。カフェの樹も抜かれ、アリ塚もなくなった多羅間耕地。それも売られて、今ではおそらくカンナ畑…。元所有者はブラジルで一番新しいトカンチンス州で、大規模大豆農家に。まさに時代の流れを感じさせる故郷巡りだった。